綿貫 聡 / 早稲田大学経営管理研究科
早稲田大学経営管理研究科の綿貫聡と申します。2023年春クオーターの「エビデンス・ベースド・マネジメント(EBM)」を履修し、リレーコラムを書くご縁をいただきました。牧さんや受講生の皆さんから素晴らしい刺激をいただいた授業について紹介したいと思います。
●授業を履修したきっかけ
私は2022年春に早稲田ビジネススクール(WBS)に入学しました。医療現場で臨床医として、またミドルマネジャーとして働く中で感じた様々なもやもやの解決のヒントを得るためにビジネススクールでマネジメントと組織のことを深く学びたいと思っていました。しかしながら日常の業務と並行しての通学はなかなかに厳しく、1年目は必修関連の授業の履修で精一杯で、2年目にようやくこちらの授業を選択することができました。受講しようかなと思った一番最初のきっかけは、”EBM”という言葉の響きの懐かしさでした。
●医療における”EBM”とは
医療の世界には、エビデンス・ベースド・メディシン(EBM)という概念があります。カナダのマクマスター大学のDavid SackettやGordon Guyattらによって1992年に提唱されたエビデンス・ベースド・メディシン(evidence-based medicine:EBM)1)は、医療の質を改善させるための問題解決の方法論ですが、それまで臨床医の経験に基づいて行われていた医療現場での意思決定を一変させたと言っても過言ではないでしょう。
私が医学生だったときにEBMを教えてくださったのは南郷栄秀先生(現 聖母病院総合診療科)で、日本の卒前教育・卒後教育におけるEBMの普及に多大な貢献をされています。南郷先生の指導のもと、学生ながらに論文の批判的吟味と現場での適用を考えた日々は、その後自分が臨床医として意思決定を行う際の礎になりました。
南郷先生の論文2)やサイト3)から引用しますが、エビデンス・ベースド・メディシン(EBM)には5つのステップがあります。
Step1:疑問(問題)の定式化
Step2:情報収集
Step3:情報の批判的吟味
Step4:情報の患者への適用
Step5:Step1〜Step4へのフィードバック
これらのステップを経て、現在利用可能な中で最も信頼のおける情報を踏まえて、目の前の患者さんにとって最善の医療を提供することを目的としています。Step3で論文の内的妥当性(研究内部の妥当性)の評価を行い、さらにStep4でここまでに得られた情報を患者にどのように利用していくかを考えます。
Step2、Step3で得られた情報のもととなった患者の集団と、目の前の患者の背景がどれだけ似ているかを検討することを、外的妥当性(適用可能性)の評価と呼びます。
Step4で情報を患者に適用する際には、エビデンス、患者の病状と周囲を取り巻く環境、患者の意向と行動、医療者の臨床経験の4つを考慮すべきとされています。また、医療現場においては医療職と患者の間での医療情報の非対称性があります。EBMという言葉を直訳すると”根拠に基づいた医療”となりますが、決して論文からのエビデンスのみに基づくものではなく、患者に現時点での推奨に基づいた情報提供を行い、患者とともに意思決定を行うことが必要です。
●経営学における”EBM”とは
さて、今回の授業のタイトルはエビデンス・ベースド・マネジメント(EBM)でした。医療と同様に経営学においても、意思決定者の経験や勘のみに基づくものではなく、事実や根拠(エビデンス)に基づいた科学的な意思決定が必要であると2005年にカーネギーメロン大学のDenise Rousseau教授が学長講演
“IS THERE SUCH A THING AS “EVIDENCE- BASED MANAGEMENT”4)で述べています。この中で彼はエビデンス・ベースド・マネジメント(EBM)を特徴づけるものとして下記の内容を挙げています。
– 専門的実践における因果関係を学ぶ
– 望ましい結果に測定可能な影響を及ぼす変異を分離する
– エビデンスに基づいた意思決定と研究参加の文化を創造する
– 特定の実践の過剰使用、過小使用、および誤使用を減らすために情報共有コミュニティを活用する
-エビデンスが検証する実践を推進するための意思決定支援を、意思決定の実行や実行を容易にする
-技術や成果物(チェックリスト、プロトコル、事前に決めた手順など)とともに構築する
-そして、個人的、組織的、制度的な要因によって、知識へのアクセスとその利用を促進する
●この授業から何を学んだのか
今回のエビデンス・ベースド・マネジメント(EBM)の授業の中で牧さんが私たちに教えてくださったものは、これに沿ったものだったのだと私は授業が終わったあとでようやく気が付きました。具体的には、下記のような内容が授業を通じて提供され続けていました。
・因果関係と相関関係の違いを理解し、ある事象を見たときにバイアスの存在を認識し、因果関係を見抜く科学的思考法を習得すること
・論文からの学習だけでなく、フィールド実験プロジェクトを通じて
実験への参画を促していること
・授業外の内外の時間を有効に活用するために、discordを用いた学習コミュニティを構築し、エビデンスに関する評価を促したこと
・牧さんが交流のあるスターサイエンティストから提供された非常に多くの良質な論文に対して、発表者を設定して批判的吟味と実践的応用まで
含んだサマリーを共有することで、経営学領域における大量の知見を得たこと
またこれらの内容に加えて、政策研究における行動変容とナッジ理論、
ChatGPTなどの生成AIの活用方法、ポジティブなピアエフェクトの影響を受けられる共同体/コミュニティに入ることの重要性、D&I(Diversity and Inclusion)における無意識のバイアスの自覚などを含めて概観を得ることが可能な設計になっている今回の授業は、エビデンス・ベースド・マネジメント(EBM)の枠を超えた、牧さんなりの味付けの加わった”特別ななにか”であったことは言うまでもありません。
この授業の裏側には、牧さんの授業の設計における非常に緻密な構築と創意工夫があり、クラスの参加者により反転授業とアクティブラーニングが行われ、そのモチベーションを支えるTAとメンターの方々の多大な貢献がありました。振り返ってみても非常にリソースフルな授業で、なんと豪華な授業に参加させていただいたのかと今更ながらに感じています。たった7週間の短い授業ではありましたが、素晴らしい舞台に裏側から参加させて頂いたような、貴重な経験でした。
●授業を受講してみて、そしてこれから
個人的には領域の異なる論文の構成の違いや、その背景の知識不足に戸惑い、批判的吟味に困難さを感じたのもこの授業の良い思い出です。また、牧さんが授業の途中で、”批判的吟味は非常に重要ですが、この論文がなぜこのジャーナルに載っているのか、その背景をよく考えて読み込んでください”とおっしゃっていたことが非常に印象的で、original articleが誌面に掲載されることの意味合いについても新たに思い直すことがありました。
石垣の石を一つずつ積むように知見を積み重ねていく学術の領域は実務家からは遠いところにあると感じ続けていましたが、医療をバックグラウンドとし、ビジネススクールで学習をした自分だからこそ貢献できる学術領域があるのではと現在は感じています。
”EBM”という2つの概念の中で、自分が深掘りをしているdiagnostic error(診断エラー)の領域5)において、将来臨床現場に貢献できるような学術の知見を提供できるように、今後も努力を重ねたいと思います。
牧さん、TAの皆さん(土肥さん、西田さん、川太さん、北川さん)、メンターの皆さん、ゲストの皆さん、team6-tomokoの皆さん(石榑さん、林野さん、下田さん、倉田さん)、クラスでご一緒頂いた皆さん、ありがとうございました。
1)Guyatt G, Cairns J, Churchill D, et al. Evidence-Based Medicine: A New Approach to Teaching the Practice of Medicine. JAMA. 1992;268(17):2420–2425.
2)南郷 栄秀.Evidence-based medicine:診療現場でのプロブレムの解決法.日内会誌:106:2545-2551.2017.
3)The SPELL:http://spell.umin.jp/EBM.htm
4)Rousseau, D. M. (2006). 2005 Presidential Address: Is There Such a Thing as “Evidence-Based Management”? The Academy of Management Review, 31(2), 256–269.
5)綿貫聡.診断プロセス総論:ピットフォールの背景因子.日内会誌:108:1837-1841.2019.
次回の更新は8月4日(金)に行います。