神谷 宗 / 早稲田大学 大学院経営管理研究科 修了
はじめに
昨年WBSを卒業しました神谷と申します。本コラムの執筆も今回で4回目となり、過去に何書いたっけ?と読み返すと、当時を思い出すとても良い機会になるので、非常に有り難いと感じています。(過去の在学中のコラムはこちら。「妄想の蓄積」、「ケース執筆のすゝめ『ゼミ活動と実践事例研究』」、「私が牧ゼミで得たもの・手放したもの~2年間の振り返り~」)
今回は、牧さんから修論のDedeicationと1年後の今についての執筆のお話があり、自分の中で整理するとても良い機会と思い、書かせて頂くことになりました。
修論のDedication
改めてですが、私は、2020年に父が経営する瓦製造会社を承継するために、事業承継者としてWBSの全日制プログラムへ入学しました。しかし、家庭の事情により、会社を承継しないことを在学中に決め、卒業後は三井E&Sに入社致しました。ちなみに、現在はマーケティング部インフラセンシングチームのメンバーとして活動をしています。
結果的に事業承継をしないことになりましたが、在学中は、事業承継のためにファミリービジネスに関係する授業の受講を積極的 に行っていました。また、修士論文も父の会社を事例として取り上げ、父へは何十時間とインタビューを行い、本気で承継する準備をしていました。修論の活動と共に、授業やゼミの中で経営学を学んでいくに連れて、斜陽産業である瓦屋を一生懸命存続させている両親の人としての偉大さを改めて痛感することが出来ました。今まで、JR東日本の一組織の一個人として細分化された仕事をしていたため、会社という大きな船を操縦することの難しさや大変さを感じていなかったので、尚の事でした。そのため、私が執筆する修士論文は、両親と瓦産業全体へ捧げようと思い、修士論文に下記のDedicationを書きました。
Dedication
本文の執筆前に、本稿が誰に向けての論文であるかを明記したい。それは、➀父と母、➁瓦産業全体である。
私は、幼少期の頃、あまり瓦産業のことが好きではなかった。なぜなら、泥臭くお世辞にもカッコいい仕事とは言えないイメージがあったからである。さらには、儲からないばかりか、いつも忙しく、私は幼少期に父親に遊んでもらった記憶がほとんどない。そして、ドラマや小説などでよくあるエピソードだが、小学校の時には、父親が会社のロゴ名が入ったジャンパー姿で授業参観に来ることがあり、思春期の私はとても恥ずかしい思いをしていた。このような経緯もあり、私は瓦産業に全く興味を持つことができなかった。しかし、紆余曲折あり、私が父親の会社に入るために、早稲田ビジネススクールへ入学することをきっかけに、瓦産業のことを父親に聞く機会が増えた。父親から聞けば聞くほど、斜陽産業である瓦産業において、ここまで会社を存続させてきた凄さや父自身の人生を瓦へ捧げている姿を目の当たりにし、この歳になって、両親の凄さを真の意味で実感した。中小企業が故に十分なリソースがない中、瓦という市場において複数の事業を展開し、新たな事業を展開するごとに膨大な知識や技術を習得していて、他の会社からも瓦に関する相談事が絶えない父。そして、同じ会社で早朝から深夜まで平日・休日問わず毎日働いているにも関わらず、家の掃除・洗濯・料理を完璧にこなしつつも、家族のことを第一に考えて行動してくれる母。私は、本稿をこの御二人に捧げたいと思う。そして、御二人が一生を捧げている瓦産業を存続させたい。
早稲田ビジネススクールへ入学して以来、前述の小学生時代の授業参観の話に加えて、私が幼少期時代に見た父の姿をよく思い出すようになった。父の小柄な体格の割にがっしりとした手が、いつも薄ら黒ずんでいたことを時折思い出すようになり、とても誇りに感じるようになった。正直、早稲田ビジネススクールのどんな授業より、これが価値あることのように思う。このようなことを思い出すきっかけ作りをしてくれた早稲田ビジネススクールは単なる学ぶだけの場ではなかったことを実感している。
何回見ても、読み辛い文章だなと思いますが、キレイな文章に拘らずに当時の気持ちを正直に書けていると思います。ただ、実は例年の牧ゼミ先輩方の修論のDedicationには、「誰に執筆論文を捧ぐか」部分のみであり、数行程度に収めていましたが、上記は自分のアレンジを相当入れ込んでしまっています。今思うと、イノベーションを学びすぎて、尖った思考をしていたのかもしれません。
当時、修士論文が完成した後に、父と母へ修士論文を印刷して渡しました。母からは「あなたにこの大変さや今まで私達がやってきたことを理解してもらえて本当に嬉しい。それだけで私達はこれからも頑張ることが出来る。」と言って貰えました。父は何も言ってませんでしたが、数カ月後に母からは「今でもたまに、お父さんは嬉しそうに修士論文を見てるよ。」と教えてもらいました。男同士の親子で手紙を書くのは、とても照れくさく、私の性格上一生書くことはないと思いますが、修士論文という形で思いを伝えられたのは、恥ずかしさを隠すことが出来るので非常に良いツールだと思いました。牧さんの修論執筆のポリシーに、Dedicationを書くことが入っていて本当に良かったです。事業承継者の方だけでなく、誰かにメッセージを赤裸々に書くことは自分の意志を再確認するとても良い機会かもしれません。
1年後の今
事業承継をしなくなった今でも、父と会社の話をします。具体的には、父が推進したい新規事業や既存事業の方針等についてです。私がWBSで学んだことで簡単な分析をしてあげたり、国へ提出する補助金申請の書類の中身チェックをしたりします。父としては、自身が勧めたい方針を後押ししてくれる私の意見は非常に貴重らしく、自信を持って仕事を進められるようです。父専属のコンサルのようなものになっています。一方の私は、定期的にWBSで学んだことをアウトプットする場や最近の瓦産業の状況や製品についてインプットする場となり、双方にとって非常に良い場が設けられている状況です。
修論の話に戻りますが、修士論文を本格的に書き始める前に事業承継をしないことになったため、一度牧さんへ修論のテーマについてお話させて頂いたことがありました。その際には、「何年後かに状況が変わって家業を継ぐかもしれないから、このまま瓦産業のテーマがいいと思う」とアドバイスを頂きました。今はまだ、家業へ戻るつもりはないですが、このアドバイスのお陰で修士論文を通じて、両親との繋がりや一生尊敬する気持ちを持つことが出来たので、両親とこのような関係が続けられているのもあの時のアドバイスがあったからだと思います。もし、違うテーマに変更していたら、父と瓦の話をすることもなく、入学前の希薄な関係になっていたかもしれません。
また、牧さんからのアドバイスをもう一つご紹介したいと思います。M2の夏合宿で実施したコーチングゲーム「Point of you」の 中で、牧さんから「ご家族と旅行は行ったりできますか?一度ご家族皆で旅行に行くと腹を割って深い話が出来ると思う」(言葉はうろ覚えですが。)このようなアドバイスを頂きました。そのため、相当前から計画をして、今年5月GWに家族総出で旅行へ行くことになり、何十年ぶりかの旅行に皆がワクワク楽しみにしています。
最後までずっと家族の話になってしまいましたが、つまり何が言いたいかというと、頑張っている両親を真の意味で理解し、お互いにとって良い関係が築けたため、卒業した今でもWBSは本当に素晴らしい機会を与えてくれた場所と思っています。両親とはあまり話さない、両親とは実はちょっと反りが合わないという方もいると思いますが、入学する事業承継者の方は、ご両親とじっくりお話出来る最後のチャンス(学生生活)かもしれません。折角の学生生活で違う視点で学びを優先してしまうかもしれませんが、私の今回のコラムのようなこともあるので、ご家族との関係を深めるために使うのも良いかも知れません。
以上
次回の更新は5月26日(金)に行います。