[ STE Relay Column : Narratives 190]
山口 剛史「TOM2022 イノベーションとはなにか、実践知と哲学の間で」

山口 剛史 / 早稲田大学 大学院経営管理研究科

[プロフィール]愛知県安城市出身。2015年に東京大学大学院修了後、株式会社ディー・エヌ・エーに入社し、新規アプリゲームの開発・運営にゲームプランナーやPMとして従事。その後、株式会社じげんに入社し、子会社(業界特化型SaaS)のPMIや事業戦略の策定・実行をGMとして推進。現在は新プロダクトの立ち上げにもリベンジ中。2022年4月より早稲田大学大学院 経営管理研究科(夜間主総合)に入学。趣味はガチ中華の食べ歩き。WBS愛知県民会幹事。

 本コラムはTOM 2022の魅力を受講者の目線でお伝えするコラムである。牧先生のTOMは実践的な内容と、価値観を揺さぶるような学びが同居するWBSの名物授業の一つだと思う。今回は後者にフォーカスして紹介させていただく。前者を知りたい場合は他の受講生のコラムを参照いただきたい。

1.TOM受講のきっかけ

 牧先生のTOMに興味をもったきっかけはTOM 2021受講者(吉村 光平さん)から激しくオススメされたことだ。ドローンを飛ばす授業という予備知識はあったが、話をきいてみると、他の講義とは一線を画すユニークな授業ながら「イノベーション」について深い学びを得られる授業らしい。
 私にとって「新規事業」「イノベーション」は永遠と追いかける宿命にある、ライバルのような旧知の友人のような不思議な存在だ。元々保守的で石橋をたたいて渡るような人間だったが、出会いに恵まれ、キャリアの半分ほどは新規事業に関わり、成功も失敗も味わってきた。どんなサービスにせよ、プロダクトを顧客にぶつけて価値を問う過程はたまらなく楽しい(と同時に苦しい)一方で、起業した友人・知人の成功を横目に、いまのやり方で本当によいのか、という葛藤も抱えていた。自分のスタイルを見つめ直し、アップデートする必要があった。
 加えて、(自身が広い意味で関わってきた)Webサービスやクラウドサービスが世の当たり前になっていく中で、「ソフトウェアが世界を変え続けるのか」「新しいイノベーションの可能性はなにか」といった疑問が日々大きくなっていた。答えのない問いにもなにかヒントが得られるのでは?という思いもあり、受講を決めた。

2.「学びのプロセス」をデザインする衝撃

 思い出深いエピソードは沢山あるが、初回授業が特に記憶に残っている。3号館の3-202教室。聞きなれない名前の教室に向かうと、いつもの教室とは違う、机と椅子がグループごとに並べられた光景が視界に入る。学びの効果を最大化できるよう、毎回フォーメーションを変えるらしい。また教室内ではSpotifyのPlaylistからBGMが流れていたことも驚きだった。Playlistの共有はチームメンバーのbelonging(コミュニティへの所属意識)を高める実証研究を参考にしており、今年も新たにPlaylistを作るのだそうだ。
 「掴み」ですでに心を奪われかけたが、授業の内容も圧巻だった。最初に扱ったのは「デザイン思考」というイノベーション系の授業においては古典的なトピックだ。しかし、牧先生の手にかかると、デザイン思考は「一握りの人間のためのイノベーションツール」だけではなく、チーム形成や学びのプロセスの改善といった、「あらゆるビジネス/生活を豊かにできる思考法」ということに深く気づかされる。そしてこの学びは体験型(Experiential)の授業構成に加えて、メンバー内での学びのシェアや議論をPeer Effectとして意図的に促す仕掛けなど「学び」のデザインによって成立していた。
 新規事業担当として、ここまで学びや、組織文化について考えてきただろうか。イノベーションを起こす組織は大小さまざまだが、最小単位である個人/チームの「学び」のデザインに対してあまりに無頓着だったのではないか。いまの自分が最優先で身に着けるべき思考、価値観ではないか。そういった思いが駆け巡り、TOMの授業に全力投球することに決めた。

3.D&Iとイノベーション

 この授業はCommunity Norm(コミュニティ規範)が明文化されており、”Equity, diversity, inclusion, and belonging”というフレーズが真っ先にでてくる。そしてこの言葉がイノベーションにとって極めて重要なものであることが、回を追うごとに明らかになる。思考法やツール体験にとどまらず、イノベーションにまつわる哲学的な問いに向き合える点も、この授業のすばらしさだと思う。
 その中でD&I(Diversity and Inclusion)とイノベーションの関係性について考えさせられるエピソードを共有したい。1つ目はMBA在学中に出産した同級生(窪田 有彩美さん、池田 真梨さん)が親子で授業参加した回だ。親子参加はTOM 2022のチャレンジの一環として企画された。私は窪田さんと同じチームで、窪田さんがお子さんと授業に参加しつつ、学びの機会を損なわないように、微力ながらサポートさせて頂いた。沢山の発見があったが、一番の学びは、「チームにDiversityが存在し、Inclusiveであろうとすると、メンバーを観察&支援する動機になり、新たな視点や気付き獲得につながる」ことを体感できたことである。「D&Iは企業や組織のイノベーションを促進する」という言説を目にする機会が増えたが、妥当性を身をもって体感することができた。
 一方、UberやCipla(インドの製薬会社)のケースからはイノベーションが社会や国家レベルに影響力をもつと、恩恵を受けられる人数は増える一方で、不利益を被るステークホルダーが必ず登場することを学んだ。またイノベーションが強烈であるほど、摩擦や衝突は計り知れないものになる。前述のエピソードとは真逆の事例を知るほど、イノベーションとD&Iは絶妙なバランスの中で部分的に共存できているだけでは?社会イノベーションを目指す企業がD&Iを掲げるのは自己矛盾していないか?いままで見ないフリをしてきた「不都合な真実」に気づかされる。
 イノベーションを取り扱う以上、我々は矛盾を内包しながら、事業や経営に臨むことは避けられない。新しい価値を生み出し、社会に届けることはそういった難しさと向き合うことでもある。

4.イノベーションの旅はこれからも続く

 あっという間の8週間を走り抜け、気づいたことがある。実はTOMの授業では「イノベーションとは何か」「イノベーションは学術的にどう定義されるか」といった議論は(おそらく)意図的に回避されているということだ。一番の理由は、あくまでこの授業は「イノベーション」そのものを学ぶのではなく、大小さまざまな組織がイノベーションをどう起こしていけばよいのか、という実践的な問いに対してこたえる科目だからと考えている。
 したがって、この授業は最初にイノベーションの定義を与えられ、研究成果をもとにイノベーションに至るプロセスが理路整然と語られるような明快さとは対極にある。きわめて実践的ながら、腹落ちしきれない「据わりの悪さ」が同居するところがTOMのすばらしさだ。
 なにか新しいことを試したい、自分やチーム、社会を変えたいといった志をもつ人にとってTOMは素晴らしいカタリストである。少しでもTOMに興味をもったら、ぜひ教室を覗いてみてほしい。
 最後になりますが、牧先生、TAの辻 紗都子さん・瀬戸口 長利さん、ゲストの皆さん、チームメイトの窪田 有彩美さん・長橋 明子さん・伊納 進平さん、受講生の皆さん、素敵な学びの時間をありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。


次回の更新は12月23日(金)に行います。