谷川 徹 / e.lab (Entrepreneurship Laboratory)代表、鹿児島大学客員教授(元九州大学教授、同大学ロバー・トファン/アントレプレナーシップセンター創設者/初代センター長
元スタンフォード大学客員研究員(2000-2002)、元日本政策投資銀行(1973-2000、政策金融評価部長、LA首席駐在員等)。京都大学法学部卒
(はじめに)
しばらく前、牧さんから彼の初めての本格的な単著となる「イノベーターのためのサイエンスとテクノロジーの経営学」を献本頂きました。彼の専門分野たる科学技術政策とアントレプレナーシップを切り口として、イノベーション創出のあり方を考えるこの著作は、この分野における数多くの論文を紹介し読み解くことで、実社会でのイノベーション実現のあり方を理解させるスタイルをとっています。彼が早稲田大学ビジネススクールの担当授業で行なっているものと同じ考えですが、アントレプレナーシップ系の書籍としても、またビジネススクールの授業としても大変斬新なもので、かくあるべきと信じたことを既成概念に囚われず躊躇せず企画し実行する、牧さんらしいなと感じたものです。
牧さんは現在早稲田大学ビジネススクールの准教授。同時に米国カリフォルニア州のUCサンディエゴ(UCSD)で客員准教授を務める40代半ばの気鋭の教育者であり研究者です。またアカデミアの世界にとどまらず、産と学、そして国を超えた地域イノベーションプラットフォーム形成を仕掛けるプロデューサーでもあります。
今回の私のこの文は、彼を最もよく知る人物の一人として彼から依頼されて書いています。三十歳近い年齢の差がありますが、過去約20年間、様々な形で付き合ってきた友人の一人として、彼の人となりの一面を紹介できれば幸いです。
(牧さんとの関係)
私と彼は2000年代の初め、彼がまだ慶應大学を卒業して間もなく、同大学の助教時代にSFCインキュベーションビレッジ研究コンソーシアム(SIV)*を立ち上げ、運営していた頃に出会って以来約20年の付き合いです。私は産学連携組織立ち上げのため、九大に招聘され教授になって間もなくの頃でした。九大の産学連携組織を立ち上げることになった私のことをどこかで知り、ある日突然、東京の九大オフィスに現れました。
彼はざっくばらんで人懐っこく、また興味を感じることがあれば誰の懐にでも飛び込む積極さを持っていますが、それは初めての出会いから変わっていません。私とは親子ほどの年齢の差がありますが、専門分野がほぼ同じで、かつ考え方ややろうとしてい ることも近いので妙に気が合い、付き合うようになりました。
*慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)をベースに、大学発ベンチャーインキュベーションの成功モデルを作ることを目的としたネットワーク組織。牧さんは初代事務局長。
彼に初めて出会った当時はスリムで茶髪、軽薄な印象だったのですが(笑)、今は数々のキャリアと実績を重ね、また体重が大幅に増えて容貌も随分変化し貫禄がつきました。でも40代半ばという中堅の働き盛りでありながら、少年のような無邪気さと旺盛な好奇心は今も変わりません。また研究であれ教育であれ社会のことであれ、新しい切り口を見つければ、積極果敢に斬新なアイデアやモデルを提案し実現しようと行動し始めることも昔通りで、いつも見習わなければと勇気をもらっています。
何事にもチャレンジングで人との繋がりを大事にする彼からは、アントレプレナーシップに関するネットワーク組織形成の知見はもちろんのこと、研究や教育に関することについても沢山の刺激を得ていますし、また仕事の進め方や地域との連携、学生に対する接し方なども意識を共有しています。それゆえ牧さんとは、いわば同志のような関係と私は勝手に思っています。国内外に広いネットワークを持つ彼からは、UCSD/CONNECTの創設者Mary Walshok先生他、沢山の素晴らしい方を紹介してもらいましたし、私も彼に何人かのキーマンを紹介しました。お互いに助けられたり助けたりの関係です。
彼と出会ってから約20年。濃厚な関係ではあるもののあっという間でしたが、まだまだこれからも沢山の交流があり私をバージョンアップしてくれそうな気がしています。楽しみです。
(牧さんとの付き合いの変遷 その1)
彼との20年間には様々な接点がありましたが、彼に対する印象や評価は徐々に変化・拡大しています。
彼が慶應大学を卒業してSIVの事務局長をしていた2000年初め頃から、2010年にUCサンディエゴ(UCSD)の経営大学院で博士学位を取るべく入学する前までは、「若いのに企画力や行動力/実行力、積極さ、また個人や企業を含めネットワークする力、コミュニティづくりの力は凄いな」というのが私の彼に対する見方でした。学会での論文発表や新しい試みを取り入れた授業なども、彼は積極的にしていましたが、研究者として教育者としてよりも、地域における大学連携インキュベーションシステム(SIV)の実現など、アントレプレナーシップ分野で実効あるネットワーク組織を立ち上げかつ運営し、国内有数の存在とした手腕が素晴らしく、私も大いに評価していました。
彼の広いネットワークのおかげで、私が九大で企画した大学発学生ベンチャーセミナーに慶応の有力学生ベンチャーを紹介してもらいましたし、2010年に私が立ち上げた九州大学/ロバート・ファン/アントレプレナーシップセンター(QREC)の若手教員採用にも貢献してもらいました。すなわちこの時期の彼に対する私の評価は、アカデミアには珍しい、実務面での企画力、行動力、ネットワーク力に長けた若者というものでした。
(牧さんとの付き合いの変遷 その2-)
その後彼が博士の学位を取得するために米国に行くことを決めた際、2010年少し前だったでしょうか。彼がサンディエゴのUCSDの経営大学院を考えていると聞き私は一も二もなく賛成しました。UCSDは全米トップクラスの大学ですし、加えてUCSDが、やはり全米有数のイノベーション地域と言われるサンディエゴに位置していたからです。
イノベーションのメッカといえばシリコンバレー(SV)ですが、余りにも巨大なイノベーションのエネルギーが渦巻くSVでは、彼が持つ様々なポテンシャルが埋没してしまい、彼の良さが発揮できそうにないと思いました。一方、サイズはSVより小さいものの、サンディエゴにはUCSDの他数多くの世界最高レベルの研究所があり、また高い防衛技術の蓄積の存在感も高く、さらにはCONNECTというUCSDの有力アウトリーチ組織が主導する、産官学が一体となった強力なスタートアップコミュニティがあります。すなわちサンディエゴ、UCSDは、牧さんがさらに成長する最適のイノベーションコミュニティで、牧さんがイノベーションのうねりに翻弄されることなく、また自らの主体性を失うことなく、沢山の刺激と機会に恵まれながら、博士学位取得のための勉学に励むことができるだろうと感じました。
実際、そのUCSDでの2010年から2015年までの5年間、彼はさらに大きな進化を遂げたと思います。UCSDでの博士課程での学びや研究がどのようなものだったか定かには知らないのですが、彼はこの学位取得の5年を過ごす中で、サイエンス的思考の重要性を一層認識し、彼の研究者(アカデミア)としての方向性と立ち位置を明確にしたと思います。
彼が学位を取得する前後から関心を持って研究を始め、その後科学技術政策/アントレプレナーシップ研究分野で重要なカテゴリー の一つとなった、”スターサイエンティスト”の研究や、膨大な量の論文読破からくる論文の重要性への思いにそれを感じます。彼の近著「イノベーターのためのサイエンスとテクノロジーの経営学」では、彼のその思いが明らかにされています。
まさにこの5年間で彼は“研究者”としての素質を磨き、後に研究分野で成果を上げるきっかけを得たのだと思います。2010年までの期間の彼を “産学地域イノベーションネットワークづくりのプロデューサー”と評価するなら、このサンディエゴの5年間は、彼が“研究者”として地位を確立し自信を得るきっかけの時期だったと思います。
加えてこの5年間で特筆すべきことは、彼は学位取得のための苦しい日々を過ごしながらも、UCサンディエゴに留学していた若い日本人たちをネットワークし、価値あるアントレプレナーシップコミュニティを作ったことです。このコミュニティでは、UCSDを含めた様々なアントレプレナーシップ分野の有力者と交流する機会を設定、若い彼らに大きな刺激とネットワーク機会を提供しました。私も彼を訪ねた際にこのネットワークの集まりに招待していただき、多くの若い日本人やサンディエゴの起業コミュニティ有力者などを紹介してもらいました。知り合った人や若い人を積極的に巻き込んで、皆がハッピイになるコミュニティづくりに喜びを見出す、彼の素晴らしい特質の一つだと改めて感じたものです。
(牧さんとの付き合いの変遷 その3)
2015年にUCSDで学位を取得後、彼はUCSD時代に親しくしていた星岳雄元UCSD教授(少し前にUCSDからスタンフォード大に移籍)に誘われてスタンフォード大学に移りました。そしてアジア太平洋研究センター(APARC)リサーチアソシエイトとして約1年間、スタンフォード大学を基点とした日米の産学連携ネットワーク(Stanford Silicon Valley – New Japan Project)構築推進の重要な役割を担いました。このプロジェクトの中心人物の星岳雄教授が、牧さんのネットワーク構築力を高く評価していたからだろうと思います。
また彼はUCSD在籍時代から、UCSDと日本の産学官との連携の必要性や可能性を確信し、日本の産学官における広いネットワークを使って連携の環境整備を行い、2016年にはUCSDの日本進出(日本オフィス開設)を実現させています。彼の実務面におけるネットワーク構築力、実行力の面目躍如たるものがあり、このオフィス開設式典に出席していた日米の大学幹部や、日本政府の高官も彼の貢献を高く評価していました。研究者としての地歩を固めた後も、多くの人や組織、地域が一緒になって価値を生み出すコミュニティづくりにかける、彼の情熱や姿勢は変わりません。本当に彼は人と人との交わりやその場を作ることが大好きなのだと思います。
2016年に帰国した牧さんは、政策研究大学院大学助教授のポストを得て1年間研究活動を行ないました。そしてその後早稲田大学に招聘されて、早稲田大学ビジネススクール(WBS)准教授に就任、科学技術政策、アントレプレナーシップ、技術経営、イノベーションなどに関する教育研究活動を開始し、現在に至っています。加えて彼の在籍したUCSDからのオファーを受けて、同大学経営大学院客員助教授も兼任し毎年夏に同地に滞在し教鞭をとっています。母校慶應大学のライバル校たる早稲田大学の教員になったのはやや皮肉ですが(笑)、多士済々のWBSの教員陣にあって彼の研究教育活動は一層活性化しているように思います。
このWBSで彼は積極的に研究活動を行い、論文を発表するとともに様々な雑誌への投稿、講演を重ね、初の単著(「イノベーターのためのサイエンスとテクノロジーの経営学」)も出版しています。でも特筆すべきは、彼のWBSでの授業「科学技術とアントレプレナーシップ」など、教育活動です。
先に書いたようにこの授業では、ビジネスという実学を学ぶ社会人学生たちに多くの国際論文読破を課し、科学技術的思考を体得させた上でアントレプレナーシップとビジネスを学ばせるという、アカデミックなアプローチをとっており、ビジネススクールとしては極めてユニークなものです。極めてハードルの高い授業ながら学生の評価は高く、毎年受講生は増加していると聞きます。早稲田大学のティーチング・アワードも獲得しています。授業には様々なICT機器も導入、このような革新的な授業を作り上げることは牧さんらしく、彼のイノベーターとしての面目躍如という感があります。まさに彼は「教育のイノベーター」だと思います。
(牧さんの特質)
牧さんの人物像や彼の業績面の特質を私なりの視点から書いてきましたが、ここで総括的にまとめてみたいと思います。
まず彼の仕事面から見た特質は、以下の2点に集約されるのではないでしょうか。
1, ネットワーク、コミュニティをつくる力・センス(ネットワーカー)
先に書いたように、また多くの人が言うように、彼は過去大学を卒業してから、様々な分野で社会的価値が高く影響力のあるネットワーク組織を作ってきました。SIV然り、UCSDと日本の産官学の強力な関係づくり然りです。また公的なもの以外でも、仲間や若い人に呼びかけて、互いが交流し新しい関係が生まれるようなコミュニティづくりに汗をかいてきました。誰に頼まれたわけでもなく、牧さん自身がそのようなネットワークやコミュニティが生まれることを心から望み、その実現を本当に嬉しいと思っていることが、彼のエンジンだと思います。打算ではありません。
2, アントレプレナーシップ、イノベーション力(アントレプレナー、イノベーター)
彼のもう一つの大きな特質は、思い立ったらすぐに行動し、実行に移そうとする行動力であり実行力です。そして研究であれ、教育であれ、産学連携などの実務分野であれ、新しいアイデアやコンセプトを思いついたらすぐにチャレンジし、今までになかった斬新でかつインパクトの大きなことを実現しようとします。まさにさまざまな分野でのイノベーションを起こす人物です。
誰も気づかなかったり、多くの人を巻き込まなければいけなかったり、また既存の常識や秩序に挑戦するケースも沢山あります。それでも彼独特の勘と実行力、仲間を惹きつける魅力、ネットワーク力で実現に漕ぎつけています。研究分野での“スターサイエンティスト”カテゴリー開拓や、教育分野でのWBS授業、「科学技術とアントレプレナーシップ」の実現などは、彼のアントレプレナー、イノベーターたる所以の成果だと思います。
特に後者は、アカデミアの世界で一般的なサイエンスの思考法をビジネススクールの授業に導入するなど、まさに常識やぶりの教育イノベーションでした。まさに彼の真骨頂ではないでしょうか。彼は本当に「研究イノベーター」、「教育イノベーター」です。
(牧さんの貢献)
彼はまだ40代半ばの若手中堅の研究者・教育者ですが、先に述べた彼の特質や活動は、すでに大きな社会的インパクトを起こしていると思います。すなわち「ビジネス分野とアカデミア分野の垣根を崩し」ています。
従来から言われているように、産業界・ビジネス界と大学・アカデミアの世界とは意識も価値観も行動原理も異なります。この20年余りの間「産学連携」という大きなうねりが我が国にも訪れて、大学とビジネス界の橋渡し、すなわち意思疎通やリソース・価値融通は盛んになりつつあります。しかしながら、大学(アカデミア)が持つ大学人の人材像や、教育像、研究像は殆ど変わらず、またビジネス界の常識も変化は乏しい状況です。すなわち産と学、それぞれの世界の懸隔は未だ大変大きいものがあります。
然るに牧さんは、WBSの授業「科学技術とアントレプレナーシップ」の試みや、UCSDと日本の産学官との連携関係構築で日本の大学マネジメント変革を仕掛けることなどで、産と学がそれぞれ変化し融合すべき分野を明らかにし、かつ変革に誘導しているように思います。これは従来のクラシックな産学連携の概念を超えた大きなインパクトです。すなわち、牧さんの活動は、良い意味での“ビジネス分野とアカデミア分野の垣根を崩す”ことにも及んでいます。このことの貢献は特筆すべきことと思います。
さらには、牧さん自身が、実務面での産学官地域イノベーションネットワーク形成活動など、従来の研究者像、教育者像を超えた積極的な活動をしていますが、このこともまた、彼自身が”ビジネス分野とアカデミア分野の垣根を崩す”存在となっていることの証左です。本人はあまり意識していないのかも知れないのですが、大学やビジネス界といった分野固有の概念にとらわれず、あらゆる分野・地域の垣根を越えてそれぞれが変化すること、また双方の価値観や手法を兼ね備えた人材が増えることは、望ましいことです。そのロールモデルを実現しているのが牧さんだと確信しています。
(最後に)
約20年という長い付き合いの牧さんから依頼されてこの文を書いています。先に書いたように、私とは大きく年が離れていますが、本当に彼からは沢山の恩恵を受けており、また刺激をもらっています。彼との付き合いは古希を過ぎた私の元気の源でもあります。
人懐っこくて食べることが何より好きで、研究や教育、そのほか仕事上の実績はすごいのに、美味しいものに遭遇すると歯止めが効かなくなって食べ過ぎ、体重が激増していつの間にか若い頃のスリムな体型とは大きく変わってしまった牧さんは、本当に憎めない方です。
若手とはもう言えない、実力派の大学教員になっていますが、いつまでも無邪気な少年のような趣の人物です。沢山のプロジェクトを引き受けて忙し過ぎ、健康が心配なので以前注意喚起したことがありますが、一時体調を壊して病院のお世話になったこともあるようです。食べ過ぎ忙し過ぎは彼の唯一の弱点かも知れません(笑)。
40代半ばの年齢はこれからさらに大きな飛躍が待っている年齢ですので、まだまだこれからも研究・教育イノベーターとして、また産学地域連携のネットワーカーとして、大きな成果を出してくれることでしょう。牧さん、これからも期待しています!よろしく!
以上
次回の更新は10月21日(金)に行います。