[ STE Relay Column : Narratives 137 ]
石井 美季 「続・管理人日記」

石井 美季 /  早稲田大学 牧研究室 

[プロフィール]  牧研究室管理人。 STE Relay Column編集者。  サイト運営担当・及び諸々雑用請負人。
川崎生まれの川崎都民(学校と職場は東京都内)電話級アマチュア無線技士・総合旅行業務取扱主任者・日本サッカー協会公認四級審判員。川崎フロンターレとミニチュアシュナウザーをこよなく愛する。原稿が集まらない緊急事態にあわてて執筆(あわわ)

ほどなく2度目のコラムが周ってきた(ということは原稿がショートしたのだろうとお察しのみなさま、、、)。とはいえ、前回のコラムからは1年半ほど経過している。その間、新型コロナウィルス感染症拡大の影響から緊急事態宣言が発令され、世の中の状況も随分変わっていった。

1136号室の状況はあまり変わっていないが、管理人の不在が多くなり、Jack & Alleyがラウンジへの仮住まいとなったことが唯一の大きな変化だろうか。多くの方のご好意に甘え、水分補給を続けることができており、春の日差しを浴びて青々とした新芽が現れてきている。

そんな変わらぬ研究室の何を紹介しようかと関係者に相談したところ、いくつかのリクエストをいただいたので、今回はそれらを軸に3部構成にしたいと思う。

【リクエストI】研究室のマネジメント(OBの方から)

~出勤時のルーティン~
*作業台に乗った物を所定の位置にもどす←主に授業から持ち帰った本や印刷物。ケーブルやドローン、三脚が乗っていることもある。。。片付けないと仕事ができない泣

*部屋中のペットボトルを回収する←主にペットボトル用の回収箱だが、机の上や授業用カートに混ざっていることもある。なぜかどれも底1cmくらいの残量があり、(コーラは50%が多)まとめて中身を廃棄、フィルムとフタを剥がして回収容器へ。

*コーラ・お茶など、牧さんの飲み物を冷蔵庫に補充。一週間も経つとほとんどカラの状態に。。。従ってAmazonからも毎週飲料が届く。3階に配達されることが多いので、台車でガラガラと運ぶ。

*牧さんの机上の整頓←大事そうなものは回収、文房具は所定位置へ戻し賞味期限が過ぎたものは廃棄。見てはイケナイような大事なものがあることも、、、絶句。

*ゴミの排出←廊下に置いても回収されないので、給湯室の所定場所まで持って行き、「廃棄」シールを貼って設置。

・・・という一連の作業で1時間は経過するので、その後やっと本来の仕事にとりかかる、、、ということは、家主は知る術もない、、、

昔、防犯対策の話題になったことがある。二重に施錠する、現金等の貴重品は置かない、などの通常の提案がある中、「部屋が散らかりすぎて既に泥棒が入った後だと思わせる」と牧さんがいったのを覚えているのだが、、、

~本棚の整理~
昨年、バイトの子と大幅整理を行ったが、1か月もすると横向きの本が増える(元の場所に戻っていない!)ため、定期的に整頓作業をしている。これをやり始めると1日あっという間に過ぎてしまうので、1回1時間と決めている。

~ケーブル類の管理~(悩んでいます)
ハイフレックスという授業形式になり、使用機材が増えたことから、ケーブルの管理が難しくなった。ケーブル仕分け用のクリップを購入したが、なにしろ「本体がわからないケーブル」が箱2つになるとお手上げである。。。
どなたか「良いケーブル整理方法」を編み出した方、伝授乞う。

~タスク管理~(部屋そのものではないけれど)
「やること」を締切と共に管理。資料や書式をまとめて番号付きファイルにし、データストレッジに格納。定期的にメールで「(恐怖の)お知らせ」を送る。締切を過ぎたものは「赤字」に変更するが、一向に効果がない、、、(ように見える)

~見られる?研究室維持のヒケツ~
消費期限の過ぎた物、忘れてるだろうな、、、と思われる物はこっそり廃棄する。「あれ、どうしたっけ?」と言われたらどうしよう、とドキドキするが、いまだかつて聞かれたことはない爆

【リクエストII】良いアポイントの取り方(牧さんのIdea)

★困る例
「牧さんへ相談があるため、アポイントをお願いします。」

このようなメールが来ると、やりとり2~3往復を覚悟する。なぜなら、

● 何の相談かわからない
● アポイントをとる許可はもらっているか不明
● 希望期間(何月何日までに)がない⇒来年でもいいのかーい
● NGの時間帯(又はOKの時間帯の場合はなるべく広く多く) が明記されていない 

ちなみに、牧さんが博士課程の学生だったころ、指導教員の國領二郎先生にアポイントを依頼された際はこんなメールだった(本物・初公開)

<<その1>>

> 1月23日(土)のフォーマルへ向けて、1月に、私の研究プロポーザルをみっちり、
> しごいていただくお時間をいただけませんでしょうか。
>
> もしよろしければ、1月5日がGMATの試験ですので、それ以降でお時間をいただけ
> ますと幸いです。

<<その2>>

> ご無沙汰しております。2年目のコースワークが終わり、家族の事情や、虫歯の 治療などその他もろもろの理由で、昨日日本に戻ってきました。7月9日までお ります。
>
> もしよろしければ、近況報告と簡単な研究のご相談をさせていただけませんで
> しょうか。日本での予定がなかなかバタバタして固まらなかったため、short noticeなご連絡で申し訳ありません。
>
> ご無理のない範囲で、ご検討いただけますと幸いです。

國領先生も超絶お忙しい方だったため、移動時間や待機の間をアレンジして、研究室に限らずどこでもアポイントをセット。週末に先生のご自宅へお邪魔することも。先生がごろりとベットに横になり、牧さんが椅子に(反対に)座って話していたところへいらした奥様に「まあ、なんという恰好してるんですか!」と叱られたこともあったらしい、、、
しかしながら、牧さんは常に丁寧に前広にアポイントの依頼をしていた印象がある。また上記の例にあるように、必要な情報は網羅されており、こちらからの返信は1回で終わる「良い(楽な)例」であった。

【リクエストIII】牧さんとの思い出(まじめなお話)
牧さんと知り合ったのはいつだろうと考えてみると、元職の師匠であった國領二郎先生がSFCへ異動されたころかな、と思い、とすると2003年なので、牧さんが25歳。ちょうど助手・助教であったころでしょうか?ということはもう18年も経つ???と驚いている。
そんな長い期間で心に残るエピソードが3つ。それは牧さんの人柄も表している。

松倉先生とのこと:
牧さんとの話題に故松倉秀実先生の話は避けられない。当時SFCでも教鞭をとっていただいていた。例によって私との接点は授業の打ち合わせや準備に関するものだったが、優しい笑顔と愛犬にまつわるお話、体調を崩されてからは入院されていた病院の件などでお声がけいただいていた。牧さんはSFCでのビジネスプランコンテストでご一緒したことがきっかけで授業にお呼びしたり、学生のアイデアを特許化することなどの相談をされていた。2011年の7月に療養中の松倉先生のご自宅を牧さんとお訪ねしたことがある。ご体調の変化が激しかったため、近くのドトールで待機し、様子を見て短時間お会いしに行く、という計画だった。お会いできた松倉先生は明らかに衰弱しておられ、愛犬きなこちゃんが側を離れなかったのが印象的だった。その際の牧さんの気配りが鋭くとても優しかったのが今も心に残っている。あー、牧さんて本当は優しい人なんだ(すみません)と思った。松倉先生とのエピソードはブログにも残されている。

サンディエゴでの再会:
大学の同窓会に出席した際、サンディエゴで博士課程に進んだ牧さんを訪ねたことがある。大学はLAから北へ90分ほど走ったところだが、同級生の妹がLa Jollaにおり、そちらへ一緒に小旅行する予定があったため「こんなに近くなら会うしかない!」と押し掛けたのである。博士課程の学生がどんなに忙しく過酷かはKBS/SFCでみていたので、増して異国であること、今思えば牧さんの形相も尖っていた(瘦せていた???)ように思う。そんな中でもコミュニティはしっかり築いておられ、日本からの留学生を束ねているドンのように、私にキャンパスを案内する子を宛がってくださった。久しぶりのキャンパスライフにしばしタイムマシーンに乗った気分になったものだ。ランチにはSushi OHTAへ、授業が終わってから牧さんお気に入りのホテルのバーへ、とスタディツアーでも決して外さない場所へも行くことができた。今思うと、バーでは牧さんの「恋バナ」が中心だった。詳細は割愛するが(なんで)あの時確かに「うーん、これはもうすぐかも」と思った記憶がある。

粋な計らい:
17年という長い期間を國領研究室で過ごした頃、人生の大きな転機に合わせて外資系金融会社へ転職した。いろいろな事情が交錯しての決断だったが、何より辛かったのは言葉で言い尽くせないほどお世話になり、育てていただいた研究室を後にすることだった。
何を言っても辛く後ろ向きになってしまうので、とにかく前を見て振り返らずに進もうと決めていた。そのため周囲の人たちにもほとんど話さず、先生にだけ送別会をしていただいて、ひっそりと退散した。そんな時、サンディエゴの牧さんから「電報」が届く。
「おつかれさまでした」
張りつめていた糸がぷつんと切れて、あー私でも存在を認めてもらえたんだな、と涙がでた。自分が決めたことではあったが、労いの言葉が何より嬉しかった。メールでもチャットでも手紙でもなく、「電報」その発想こそが人の心をぎゅっと掴む、才能なのだろうとこの時再認識したものだ。
それにしても、なぜサンディエゴにいた牧さんが、私ごときがフェードアウトしていくことを知っていたのだろう?それはもちろん、牧さんの情報網の広さ(顔の広さ?)とマメさ(超多忙な中でのSNS…)の賜物だろう。

今思い返すといろいろなエピソードがあったが、その時は「まさか」牧さんの元で働くとは想像もしていなかった。あの時お声がけいただいていなかったら?あのまま元職を続けていたら?歯車はうまく回らなかったのだろうと不思議に思う。大学という慣れ親しんだ環境の中で、少しでも牧さんの仕事がスムーズに(楽に)なるよう、無い知恵を絞って日々奮闘している管理人である。

 


次回の更新は7月2日(金)に行います。