[ STE Relay Column : Narratives 095]
伊藤 卓朗「サイエンティストが駆ける –伝統が拓く地域活性–」

伊藤 卓朗 / NPOやまいろ 代表理事

[プロフィール]生まれ故郷鶴岡の自然と文化をこよなく愛する科学者、山伏、マタギ見習い。鶴岡工業高等専門学校物質工学科、弘前大学農学部を経て、東北大学大学院生命科学研究科博士課程を修了。博士(生命科学)。慶應義塾大学先端生命科学研究所にてオイル産生藻類の研究プロジェクトを立ち上げ、微細藻類がバイオ燃料に利用可能なオイルを蓄積する代謝について研究。JSTさきがけ研究者を兼務。山形県科学技術奨励賞(2015年)受賞。内閣府革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「セレンディピティの計画的創出」にて広報や研究開発管理を担当し、人工知能を使った細胞分取基盤技術「インテリジェント画像活性細胞選抜法」の開発とヒト細胞や微細藻類への研究応用に成功。2020年、鶴岡の最辺境である大鳥に科学と芸術を用いて伝統を発展的に学び伝えるNPOやまいろを設立。

 昨秋、スター・サイエンティストの研究で鶴岡に来ていた牧さんと偶然に再会し、私が科学者として鶴岡の伝統に向き合う取り組みを紹介した事から、WBSの留学生と一緒に鶴岡で科学と産業と伝統について考えるTsuruoka Study Tourの企画に関わるようになりました。中でも伝統は、興味のある人が直感的に感じやすい魅力である反面、興味のない人が体系的に理解しにくい知識でもあります。しかし、ツアー準備におけるWBSの皆さんとの議論からは、伝統に含まれる暗黙知「智慧」を紐解くヒントが多数生まれました。また、科学的思考と型を大事にする経済学者である牧さんの姿勢は、科学者の視点で文系分野として扱われる事の多い伝統に挑戦する私の姿勢と共通点が多く、大きな感銘を受けました。そのため、WBSの皆さんと協力して、鶴岡の智慧を多角的に観察し、言語化、そして、体系化する事で、現代にも役立つ知識としてまとめていきたいです。今年3月の初回ツアーはコロナ禍により中止せざるを得ませんでしたが、今後も継続的にTsuruoka Study Tourに関わりたいと考えており、今回は、私の取り組みとその経緯をコラムにまとめました。

自我の形成
 皆さん、「高専(高等専門学校)」をご存知ですか?私の人生の起点となった教育機関です。高専は、効率的な高度実学教育を目指して高校と大学のカリキュラムを5年間に濃縮した全国に57校しかない特異な教育機関で、概ね各都道府県に1校のため県内他地域や県外の中学校からも多くの学生(高校と違い生徒では無い)が集まります。私の母校である鶴岡高専では、当時、人数の少なく寮が整備されていなかった女子を除き1年次は全寮制で、私は実家から通える距離でしたが、親元を離れた生活が楽しく2年次でも希望して寮生活を楽しみました。中学を卒業してすぐに、他地域に育った同級生と相部屋で共同生活し、言葉(方言)や文化、個性の違いを良い面も悪い面も実感した事が「異文化を体験したい、地元文化について理解を深めたい」という自我を、家族と距離を置いて大学受験や就職活動に追われずに5年間じっくり自分のやりたい事と向き合えた事が「他の人がやっていない事、自分でもできるか分からない事に挑戦したい」という自我を形成し、私の思考、志向、そして、嗜好の基礎となりました。また、5年間バドミントンを続けて部長を務めた事は、子供の頃から運動が不得手だったので、大きなコンプレックスを解消した最初の経験になりました。今考えると、早生まれで挫折を感じる機会が多かった幼少期からの自我の成長が高専で形にまとまったのだと思います。

科学者としての歩み
 大手石油化学メーカーでのインターンシップを終えて卒業を意識し始めた高専4年次の秋、上述の自我から自分の興味に合わせて問題に挑戦できる科学者になろうと決めました。そして、好きな磯釣りをしながら、目の前にある豊かな海を守りながら持続的に利用するために海の生態系をシステムとして理解する研究をしたいと考えていました。しかし、観測が難しい事もあり、なかなか思い描く研究をしている大学を見つけられずにいた時、海を豊かにするために漁師が森を育てる「森は海の恋人」運動を知り、それなら将来海を豊かにするためにまず植物を研究しようと考え直し、3年次編入学した弘前大学農学部ではマメ科植物と根粒菌の共生開始に関わる遺伝子の研究を、進学した東北大学大学院生命科学研究科では雌雄異株植物アスパラガスの花の形と性決定に関わる遺伝子の研究を行いました。それぞれ、根粒菌を利用した化学肥料削減と花卉の品種改良への応用を見込んで選んだ研究テーマでした。また、大学院在籍時は、研究成果の社会実装について学ぶため、ベンチャービジネスに興味のある他学部や他大学の学生との勉強会BLS(Business laboratory for Student)東北を主催し、多くの起業家や経営者、研究者と知り合う事で広い社会を知る事が出来ました。
 2006年、博士号取得後すぐに採用された慶應義塾大学先端生命科学研究所(同大学大学院政策・メディア研究科に所属)で、所長で教授の冨田勝さんとの出会った事が大きな転機となりました。現在、牧さんが研究対象としているので冨田さんについてはご存知の人も多いと思いますが、赴任した4月から入居施設が完成する6月まで時間があった事もあり、今、放牧システムと呼ばれている「面白い研究を自分で探して始める」状態になり、当初予定していた研究を白紙に戻して調査を進めて冨田さんと議論した結果、オイル産生藻類プロジェクトを立ち上げる事になり、そのリーダーを任されました。博士になったばかりだったのでかなり戸惑いましたが、自然界からの新規有用藻類の探索とオイルを蓄積する際の代謝物質を網羅的に調べる(メタボローム解析)研究を重点的に進め、一緒に研究してくれる学生の配属、大企業との共同研究や競争的資金の獲得などにより少しずつ研究の幅が広がっていきました。また、冨田さんの導きで積極的にアウトリーチ活動を進めたのもキャリア形成の助けになりました。そして、2011年には若手研究者の登竜門と言われているJSTさきがけ研究者に採択されました。慶應義塾大学との任期満了に伴い、2016年からは、合田圭介プログラムマネージャーが進める内閣府革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「セレンディピティの計画的創出」にて広報と研究開発管理を担当し、人工知能を使った細胞分取基盤技術「インテリジェント画像活性細胞選抜法」の開発と血液細胞や微細藻類の研究への応用実証に成功しました。牧さんと出会ったのは、本ImPACTのプログラムアドバイザーを務めていただいたご縁からです。一人での自由な研究から多数の機関が参加するチームでの大きな目標を目指す研究まで、充実した環境で非常に楽しく研究を進める事が出来ました。

科学者から見た伝統
 2019年3月にImPACTが終了した後、人生の半分が過ぎた事から、改めて自分がやりたい事を見つめ直して次の挑戦をする事にしました。それは、大好きな生まれ故郷鶴岡の自然と文化を形作る伝統を未来につなぐ事です。まず、立ち上げから関わっている大鳥音楽祭のご縁から、鶴岡最辺境の山奥にある限界集落の大鳥を拠点に定めました。大鳥には、五感を刺激する素晴らしく美しい自然と山菜利用やマタギといった山暮らしの文化が残っています。その後、これまで培ってきた科学と以前より興味を持って関わってきた芸術をキーワードに、1ヶ月半かけて世界を旅しながら各地で活躍する友人やアーティストの妻と地域を通した世界との関わり方について議論しました。そして、仲間を募り、やるべき事をまとめる中で、鶴岡の人々が大事にしている事が3つ浮かび上がってきました。1つ目は、いくつもの時代を超える超長期継続性です。鶴岡には、開山1400年を超える出羽三山神社の古修験道、開湯1300年を超える湯田川温泉とあつみ温泉、500年以上継承されてきたとされる農村芸能の黒川能と山戸能、江戸時代から栽培される数々の伝統野菜など、時代を優に超えて受け継がれているものが数多くあります。江戸初期から転封無しに現在まで続く藩主の家系が残り、広く市民に愛されているのも特筆に値します。これらの事から、鶴岡の伝統は、末代まで智慧を伝える意志を持ちながら時代に合わせてしなやかに変化しながら伝えられたと考える事ができます。2つ目は、集落(鶴岡では部落と呼びます)の機能です。上述の温泉はもちろんの事、神事や農村芸能、伝統野菜の維持、マタギなども集落を基本単位として行われます。鶴岡には、多くの農村集落に独自のお祭りや芸能、伝統野菜などが伝わっており、広域で仕事をするようになった現代においても集落というコミュニティサイズと物理的広さが生活に根付いていると感じます。そのため鶴岡では、集落ごとの独立心が強く、他集落への干渉は少ないです。3つ目は、個人による短期的な利益を度外視した品質へのこだわりです。前述の集落意識と相反するように感じるかもしれませんが、集落の中で協力しながらも個人や家庭ごとに競い合う事で農村芸能や伝統野菜が高度に発展したと考えられます。また、鶴岡では江戸時代に藩と領民の結束が強かったため、藩校致道館の自主的に学ぶ姿勢や長所を伸ばすことを重視した教育が農村まで広く影響したと言われています。さらに、これら3つをバランス良く支えてきたのは、生活に困ったら森や海に行けば良いと思えるほど圧倒的に豊かな恵みを提供してくれる自然環境です。また、近代化後も高速交通網の整備が遅れて陸の孤島と揶揄される環境にあった事も、これらの特徴を維持する上では幸いだったと思います。
 地域の特徴は差別化できる強みでもあるので、これら3つを意識しながら、山で修行し里を回って智慧を伝えた山伏のように、現場を巡りながら科学者の視点を生かして鶴岡の自然や文化を学び伝える活動をしていきたいと考えています。例えば、伝統を伝える際に科学的に比較する事で客観的な視点を加えるなど、今までとは異なる方法で理解を深める事を目指します。具体的には、今年2月にNPOやまいろを設立し、伝統を学ぶための映像記録、原料作りから一貫した特産品作り、伝統を発展的に学び伝えるイベントの企画などを進めています。
 冒頭でも書きましたが、WBSの皆さんとの議論は、この新しい挑戦の言語化に大いに役立ちました。そして、これから鶴岡の智慧を一つ一つ体系化していくが本題ですが、普段接している現代の経済原理と異なる価値観をまとめ伝える事は容易ではありません。引き続き、私たちの活動にご協力いただけると幸いです。


次回の更新は6月12日(金)に行います。