[ STE Relay Column : Narratives 074]
石川 寛和「登山の途中に見えたInclusiveな景色」

石川寛和 / 早稲田大学経営管理研究科 / グラクソ・スミスクライン株式会社 

[プロフィール]1983年兵庫県生まれ。東京薬科大学院薬学研究科を修了後、2009年4月にグラクソ・スミスクライン株式会社に入社。その後、開発本部の前臨床開発部薬理評価グループにて新薬申請業務を中心に経験。2019年4月、早稲田大学大学院経営管理研究科(夜間主総合)に入学し、色々な刺激を受けながらも日々奮闘。趣味は登山であり、一番好きな山は燕岳。夢は死ぬまでに100名山を踏破すること。

 私はなぜ登山が好きなのだろうか。それは山という自然の前では自分自身とありのままに向き合うことができるからだ。山に登るという挑戦に対して、どんな時でも誰に対しても「公平」に機会を与えてくれる。この「公平」という感覚に対して限りなく近い経験を大学でできるとは思わなかった。私がわずか8週間をあっという間に駆け抜けた2019年度秋クォーターの「技術・オペレーションのマネジメント(TOMJ:Technology and Operations Management (Japanese)」を受講して感じたことが少しでも皆さんに届けることができればと思う。

牧先生との出会い
 私の牧先生との出会いは5月25日(土)に早稲田大学の近くにあるグッドモーニングカフェで行われた「Life project」のピッチイベントであった。「Life project」は本コラムでも登場している大角和也さんが創設者である。この時期はちょうど春学期の春クォーターの試験期間であり、かなり疲れがピークであったが、M2の先輩方や卒業生、まだお会いしたことのない牧先生や樋原伸彦准教授と直接話すことができるチャンスということもあり、思い切って参加した。
 牧先生との出会いを語る前に私自身のことについて述べておきたい。私は重度の聴覚障がい(当時は右耳に人工内耳、左耳に補聴器を装用)を持っているため、話すことはできても聞き取りは苦手である。特に飲み会、懇親会などの騒がしいところでは初対面の方の場合は音声によるコミュニケーションではなかなかうまくいかないことが多いため、筆談ボードを使うか、少しメインから外れた静かな場所にいる人と話すことが多い。では、コミュニケーションが苦手なのに参加するのはなぜか。それでも集まりからは避けるわけにはいかず、先輩、同期や先生方に私自身のことについて理解して頂くためである。また、講義を受けるにあたっては大学から手話通訳者の派遣を依頼するか、聴覚障がい者向けのペン型マイク(製品名:ロジャーペン)を何本か用意して机の上に置き、音声認識アプリ(商品名:UDトーク)も併用して講義に臨んでいる。様々なデジタル機器を使って工夫をすることで何とかして自分の弱点を埋めながら、みんなと同じ条件で参加できるように準備している。
 私は牧先生の秋クォーターに行われるTOMJ2019を先輩方からは「課題やディスカッションは大変。講義はドローンを飛ばしたりして面白いよ」と聞いていたこともあって受講するかどうかは迷っていた。まずは牧先生がどのような方なのだろうか知りたいと思い、思い切って話しかけようとしたところ一瞬躊躇してしまった。それはご存じのようにユニフォーム風の黄色のTシャツでいかにもアメリカン風な雰囲気だったからである。恐る恐る(?)牧先生に挨拶をした後、講義についての様子をお伺いしたところ「目の見えない友人と一緒に旅をしたこともあって彼も障がいを乗り越えていたから大丈夫ですよ」と。このとき、私は「あれ、変わったことが好きだけではないのかも」と前向きな印象を受けた。この日は偶然にも本コラムに登場する松田大さんと知り合えたことがきっかけで奥様が同じ会社の松田靖子さんであることが分かり、その後ありがたいことに奥様から職場にて直接声をかけて頂いた。とても心強く、様々な面でアドバイスを頂いたこともありモチベーションが一気に上がったのは言うまでもない。

TOMJ2019への挑戦
 TOMJ2019のシラバスが事前にwebにて公開されている。2019年の第13回に行われる「先端的なテクノロジー・ビジネス:ゲノム産業」は製薬企業で働く私にとっても、個人にとっても重要なテーマである。なぜならば、製薬企業にとって遺伝子診断技術はがん組織の遺伝子診断によって試験の成功確率を高めてよりよい医療に貢献するためであり、個人では出生前の胎児に先天異常があるかどうかを遺伝子診断することの是非という倫理的な議論につながることも予想され、双方の当事者としては避けられないと感じたからである。また、この講義の特徴は「コールド・コール(発言する意思がなくても学生に指される)」という仕組みもあることからうまく乗り越えられるかなと不安と期待の入り混じった中で講義が始まった。
 講義が始まる否や、その不安は杞憂であった。少しずつではあるが、すべての学生が相互に認め合いながらTA、ゲストだけではなく高校生も特別に参画し、議論をする。講義中のケースディスカッションだけではなく、Facebookでの学生による学びの共有とコメント、sli.doやZoomを使った質疑応答など持てあますことなくデジタルを駆使して全員参加の講義を作り上げている。特に私にとって忘れられないのはZoomによる全員参加型の遠隔講義であった。聴覚障がいを持つ私がZoomを使った音声と映像情報のみの形で講義に参加することは至難の業であることから、牧先生と相談しながらどうやって学生、TA、手話通訳者の協力を得ていくのかを考え続け、多くの方の助けを借りた結果、遠隔でのリアルタイム手話通訳を実現させたことであった。このときは何とかしてでもみんなの議論に参加し、議論の質の向上に貢献したいという想いしかなかった。おかげで、遠隔講義であってもなんとかなる!という自信を得た瞬間でもあった。
 講義だけではなく、ゲストを交えての懇親会も学びを深めるのにとても貴重な時間であった。忘れられないエピソードが2つある。まず、第1回目の講義後の懇親会で牧先生や川村聡宏さんから言われたことは「次からは声が小さいと感じたら後ろに下がりますね、そしたら声が小さい合図と思ってください」、「ちょっと早口になっているのでもう少しゆっくり話した方がいいよ」と。今まではこのように本音で言われたことがあまりなく、私は自分の声が小さく早口になっていることに気づいていなかった。とてもありがたい言葉だった。次に、印象的なゲストとしては株式会社ジャパン・インフラ・ウェイマークの社長である柴田巧さん、Global Catalyst Partners Japan MDの大澤弘治さん、慶應義塾大学先端生命研究所の所長である冨田勝さんも交えての議論は私たちにビジネスをするにあたっての意味と覚悟を問い続けて頂いた。特に大澤さんからは懇親会で「死ぬ瞬間には何を考えるか」、「今死ぬとしたら何をしたいか」という生き方そのものを問われ、眠気が吹っ飛ぶぐらい朝までどのように回答しようか悩んだのを覚えている。このように座学だけではなく、人と人との本音の中で得られる生きた知恵に気づかせてくれるのもこの講義の大きな魅力であった。

Inclusiveな講義を経て
 TOMJ2019を終えて感じることは、結局Inclusiveな講義であるということはどういうことなのだろうか。よくビジネスの世界にあるようにDiversityは「障がいあるから仕方ない、参加させよう」という免罪符のようなものではなかった。障がいに限った話ではなく、世代、価値観やバックグラウンドというDiversityに対して相互に尊重した上でフラットな視点で議論しながら、より良い結論に導く、これがInclusiveである。そこには誰も空気を読むことなく本音でぶつけ合うのだが、決してお互いに批判し合うことではない。大事なのはきちんとEquity、すなわち誰もが「公平」な舞台の上で議論することから新しいアイデアが生まれる。まさしくイノベーションの源泉がそこに見えた。生まれてくるアイデアや学びは「抽象」と「具体」を軽やかに往来しながら、ビジネスにおける「プロトタイプ(原型)」として得られていった。振り返ると、おそらく私だけではなくほぼ全員が最初から最後まで「楽しい」と感じ続けていたInclusiveな講義であった。

余談
 ある飲み会で牧先生から教えて頂いたのは、長内厚教授が来年度から「企業人のためのダイバーシティ・マネジメント」と呼ばれる講義を新設される予定とのこと。実は長内教授は私との10月のゼミ面談の時に聴覚障がいのことを説明した後、はっきりとこうおっしゃってくださった。「もし配属されたら、きちんとゼミ生にはお互いにサポートし合えるように作っていきますから安心してください」と。その一言がとても嬉しく、もっと学びたいという原動力にもなった。少しずつこのような風潮がWBSの講義だけではなく、ビジネスの世界でも広まれれば誰もが自分らしく生きることができ、「幸せ」を感じる世界が待っているに違いない。
 最後になりますが、牧先生を初めとしてゲストの方々、TA、ボランティアスタッフの皆様、先輩や同期の皆さん、本当にありがとうございました。


次回の更新は1月17日(金)に行います。