[ STE Relay Column : Narratives 069]
佐々木 達郎「HOW TO BUILD 『サイエンティスト 冨田勝』」

佐々木 達郎 /  政策研究大学院大学専門職及び早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 

[プロフィール] 早稲田大学大学院商学研究科博士課程に在籍。政策研究大学院大学で勤務しながらイノベーション研究を進める日々。若かりし頃は電子顕微鏡のエンジニアとして半導体デバイス・材料開発に携わっていた。専門分野は技術経営と科学技術とガンダム。読んだ本やセミナー内容をブログにまとめて公開する習性がある。オタク趣味には無駄に詳しく、非常勤講師先ではアニメとガンダムの画像を多用した経営戦略の講義を担当。

2回目のコラム執筆当番が回ってきました佐々木達郎です。
今回は先日公開された「サイエンティスト 冨田勝」のケース執筆の背景を紹介したいと思います。

ケース執筆のきっかけ
牧さんがPIを務めるJST-RISTEX政策のための科学「スター・サイエンティストと日本のイノベーション」プロジェクトの中では、論文・特許・ファンド・ベンチャー等のデータベースを接合してデータセットを構築し、定量的な分析を行うアプローチが採用されています。卓越した業績を挙げる科学者がどのような特徴を持っているのか、所属大学や分野、出版した論文の被引用数などのデータから分析していきます。まさに、牧ゼミや原さん・吉岡さんの授業のような定量分析がゴリゴリと行われているわけです。
一方で、政策担当者やベンチャー育成担当者にスターサイエンティストがどのような存在かを理解してもらうために、実際のスターサイエンティストにインタビューをして人柄や行動、実績をオーラルヒストリーとしてまとめようという話が持ち上がりました。偉人の伝記のような読み物があると、特徴が伝わりやすいですね。
牧さんの技術とオペレーションのマネジメントの授業では、MITのロバート・ランガー教授を扱ったハーバードのケース教材「ランガー研究室:科学の商業化」を使っています。せっかく研究プロジェクトで日本のスターサイエンティストのオーラルヒストリーをまとめるなら、議論するポイントも盛り込んでケース教材として仕上げると授業の教材にも出来て更に美味しくなるという方向性で、ケース執筆がスタートしました。

誰にインタビューするか?
スターサイエンティスト研究の第一人者であるZucker&Darbyらは、遺伝子配列の発見に貢献した科学者を対象に研究を行い、卓越した学術業績を挙げた科学者がベンチャー企業の経営に関与すると企業パフォーマンスも高まることを指摘しました。そしてベンチャーに関わることで得られた知見からさらに研究を進めて学術業績もあげるという好循環Virtuous Circleを提唱しています。学術的な成果とベンチャーへの関与、この2点を満たす日本のスターサイエンティストにインタビューをするのが望ましいということになります。
学術的な成果という観点では、Clarivate社が高被引用論文を多く発表している研究者をHighly Cited Researcher(HCR)としてリストを公開しています。このプロジェクトではHCRリストに論文や特許のデータを接合してデータセットを作成し、定量分析を行っていました。そこで、日本の研究機関に所属するHCRリストとベンチャーのデータベースを照合することで、ベンチャー企業に役員やアドバイザーとして関わったHCRを抽出しました。その結果、9人のHCRが15社のベンチャーに関わっていたことが分かったのです。この9名の中に冨田勝さんが含まれていました。
ちょうどこの頃、HCRリストの科学者が新聞でどのように報道されているかを分析していた宮地恵美さんと、スターサイエンティストとはどのような人たちかという意見交換を繰り返していました。宮地さんは冨田さんの同級生で、人柄や振る舞いについてとても詳しく、学生時代のエピソードは(ケースには盛り込みませんでしたが)とても面白いものでした。破天荒な冨田さんの近くにいたことで宮地さんも苦労した部分が多々あったようですが(笑)、話を聞くたびに冨田さんは面白い人だなぁと興味がそそられていったのでした。
スターサイエンティストの条件に合致していて、オーラルヒストリーにまとめたときにとても面白くなりそうで、インタビューのアポも取りやすそうという現実的な制約条件も加味して、冨田勝さんにお願いすることとなりました。

事前準備
科学と産業の好循環であるVirtuous Circleが、冨田さんの研究の現場でどのように実現しているのかを明らかにすることをインタビューの目的として設定しました。抽象化した一般論で質問すると抽象的な答えに留まりがちなため「どの論文がベンチャーに貢献したか、そしてベンチャーで得た知見が影響したのはどの論文か」という点を抑えるように事前準備に臨みました。このあたりはケース作成にも精通している原さんのアドバイスによります。
事前に集める情報は「冨田さん個人に関わる情報」「冨田さんの研究所から生まれた論文・特許・ベンチャーに関わる情報」「新聞報道」の3種類としました。
「冨田さん個人に関わる情報」については、本人が執筆された「ゲーム少年の夢」に寄るのですが、1991年に講談社から出版された本書は既に絶版。Amazonで検索すると中古のお値段は6,000円オーバー。とは言えインタビューまでに何度も読み返すことになりそうな内容だったので、図書館で借りるよりは購入して手元に置いておきたいところ。いつもの調子でポチっとして購入しました。届いた本書を読んでみたところ、購入して大正解。内容自体もとても面白い上に、ケース執筆でも何度も参照することになり、大変お世話になりました。インベーダーゲームやマイコン時代の描写には懐かしさを感じ、カーネギーメロンでの博士課程の苦学時代の章では読んでいて身が引き締まる思いでした。
冨田さんの研究所から生まれた論文については、データベースから検索して被引用数の高い論文をリストアップしてダウンロードしました。特許と合わせて文献を時系列に並べて読み進めていったのですが、冨田さんの研究所には大きな研究テーマの枠内で継続した論文のつながりがあるというよりも、オムニバス的に多様な研究テーマの論文が生まれているということを感じました。論文→特許→論文と直接成果物が連なって循環しているわけではなさそうだな、とVirtuous Circleのメカニズムが異なっているようでした。読み慣れないバイオ系の分野の論文を読むのはなかなか骨が折れましたが(笑)
新聞報道については、先端生命科学研究所のウェブサイトで公開されている山形の新聞記事やインタビュー記事等を収集し、日経バリューサーチで冨田さんの名前が出る新聞記事をピックアップして読み込みました。研究内容や産学連携にまつわる報道に加えて、山形県知事との正月対談記事や日本の教育体制に対する厳しい指摘、鶴岡で取り組んでいる高校生助手の記事などを読み、科学者の枠を超えて大きく活動している人だなぁという印象を強くしました。
冨田さんにインタビューのアポを取るに当たっては偶然の出会いもありました。2018年末に勤務先の政策研究大学院大学で行政官向けの2日間研修が開催されました。行政官・自然科学研究者・社会科学研究者が課題を持ち寄ってグループワークを行い、科学技術イノベーション政策を立案する研修だったのですが、私と同じグループに、冨田さんと一緒に研究している河野さんが入っていたのです。ここで意気投合した河野さんに冨田さんとのアポ取りや現地でのガイドもお願いすることになり、まさに渡りに船な出会いでした。本当に河野さんのご尽力に深く感謝します。また、勤務先の研修にも面倒くさがらずに出てみるものだなぁと認識を新たにしました(笑)

インタビュー実施:2019年3月15日
いよいよ鶴岡に足を運んでインタビューをする当日。羽田空港から庄内空港までANAで1時間のフライトで、着いたらバスで15分程度と、思っていたよりは遥かに近い印象でした。搭乗前の待ち時間に冨田さんの論文や資料をチェックしていると、隣に座られた女性から「冨田さんのところにいく研究者さんですか?」と声を掛けられました。話を聞くと、以前に冨田さんの研究所で勤務していたことがあったそうで、論文を読みながら庄内空港行きの飛行機を待つ人を見て、一瞬で分かったそうです。冨田さんにインタビューに行くことを伝えると「面白い人なので、たくさん話が聞けますよ!」と太鼓判を押してくれました。
庄内空港は羽田空港との間に1日4往復の便があり、空港から鶴岡市に向かうバスも飛行機の時間に連動していてとても便利です。サイエンスパーク前という、本当に研究所の真横にバス停が設置されていたので特に迷うこともなく移動することができました。
冨田さんと面会し、研究のスタイルや人材育成、研究とベンチャーとの関係を中心として90分ほどインタビューを行いました。こちらから質問を1投げると、冨田さんが10喋ってくださるくらい積極的にお話しくださったので(笑)、初めてインタビューをする身としては大変助かりました。お話の中では研究者を育てる放牧システムや、高校生助手に関する話がとても興味深く、ここで伺ったエピソードはケースの中に多く盛り込むこととなりました。
冨田さんとのインタビューが終わった後は、秘書の塩澤さんにラボを案内して頂きました。特にメタボローム解析でキーとなるキャピラリー電気泳動質量分析(CE―MS)装置がずらっと並んでいる測定室は圧巻で、まさに撮影スポットと冨田さんが必ず来訪者に進める場所だそうです。実はこの部屋、片面の壁が鏡張りになっているので写真で見ると2倍の数の装置があるように見えるというギミック付き(笑)リフレッシュルームや懇談部屋を見学して、クリエイティブな研究に専念するための環境整備に力を入れていることも伺えました。ケースの研究環境整備のパートについてはラボツアーで説明頂いた内容を盛り込んでいます。
インタビューとラボツアーが終わったところで、道路挟んで向かいにあるホテル:スイデンテラスにチェックイン。インタビュー内容をメモしたノートを見直し、記憶のあるうちに思い出したことを追記しました。ホテルでパソコン作業をしていても、周りの風景が綺麗で視線を上げただけでもリフレッシュでき、伸び伸びと仕事が出来たなと思います。
一息ついたら河野さんと一緒に八方寿しという、冨田さんたちもよく使う鶴岡の有名寿司屋に行きました。店に着く前に河野さんから「この寿司目当てでわざわざ鶴岡まで足を運ぶ人もいる」という話を聞いたときは大袈裟だなぁと思っていたのですが、食べてみてその意味が分かりました。これは本当に美味しい。マジで。こんなに美味しい寿司は食べたことがない、というくらいに感動したのを覚えています。
美味しかったのは寿司屋だけではなく、翌朝のホテルで出たバイキング形式の朝食でも白米がとんでもなく美味しかったのです。白米をおかずにして白米を食べても大丈夫なくらい、ずっと食べていられるご飯でした。鶴岡のご飯は美味しいとパンフレットなどで何度も紹介されましたが、実際に食べてみて、心の底から納得することができました。鶴岡はご飯が美味しい。ずっとここに居たら太るなと危機感を覚えつつ、インタビューツアーを終えました。
ケース執筆
執筆の方向性について、牧さん・石井さんと打ち合わせを実施しました。ランガー研究室のケースのような研究に関する情報と、冨田さんの研究環境を持続的にするにはどうすれば良いか?という問題意識をベースにして、ケースを構築していくことに決定しました。佐々木がケースの骨子を作成して、石井さんにインタビューの文字起こしからケースの下書きまでをお願いしました。石井さんはご自身のコラムの中でも振り返っているとおり、冨田ワールドにどっぷりハマってくれました(笑)その甲斐あって、充実したケース原稿を書いてくださって、私が追記・編集する作業がとてもスムーズに進められました。そんなこんなで第1稿を牧さんに入稿したのが6月でした。(8,800文字)
7月には牧さんからのフィードバックを頂き、第2稿に向けた改訂作業がスタートしました。この頃にはスターサイエンティストプロジェクトのメンバーで鶴岡に合宿に行くことになり、冨田さんへの2回目のインタビューも9月17日と決まっていました。それまでにはケースの改訂版を冨田さんに読んでもらって、フィードバックを頂かなくてはなりません。8月は政策研究大学院大学での大きなイベントも重なっていたこともあり、なかなかのデスマーチ状態でした。時折タイムラインで流れてくる、充実したサンディエゴ生活を堪能している牧さんのFacebook投稿をぐぬぬと眺めながら(笑)蒸し暑い東京で改訂作業を続け、第2稿が仕上がったのは訪問1週間前を切った時点でした(資料含め17,000文字)
9月の鶴岡合宿には私は同席できなかったのですが、インタビューに同席したメンバーからフィードバックを頂き、第3稿に向けた改訂を進めました。第2稿では冨田さんに関する記述は一通り出来上がっていたのですが、鶴岡発のベンチャーの記述を充実させ、地域創生に関するパートを追加することにしました。ちょうど9月のインタビューの日が冨田さんの4つめの博士号が授与された日で、鶴岡の地域創生に関する博士論文も見せて頂きました。まさに鶴岡の研究所設立から地域への貢献を当事者として実行してきた立場で振り返っていて、とても興味深く読むことができました。当然ながら本人が書いているだけあって情報が充実してまとまっており、これを半年早く読んでいたらケースを書くのが楽だったのになぁと思わなくもありませんでしたが(笑)冨田さんが11月9日にWBSに来て講演することが決まっていたので、それに間に合わせるようなスケジューリングで第3稿を仕上げていきました。第2稿のときもそうでしたが、外部ゲストを根拠にして締め切りを設定すると、否が応でも仕事をせねばならずに捗るものだなと実感した次第です。(資料含め22,000文字)

終わりに
11月9日には冨田さんにWBSに来ていただいて講演会&懇親会を開催しました。9割は言われたことを着実にこなす「優等生」がいて欲しいが、1割はそのような型にはまらない「脱優等生」も必ず必要という話は、優等生型の多いビジネススクールには良い爆弾だったなと。懇親会はまさに人生を語る意識高い系飲み会(ジンカタ)になったと感じます。
ケースの著者としては、取り上げた事例の画像をスライドでご紹介頂いて嬉しかったというのもありますが(笑)
冨田さんご自身がサイエンスを追求する科学者に留まらず、教育のあり方・地方創生を通じた日本の発展など非常にスケールの大きなことを捉えて取り組んでいることを側で感じることができたのは収穫だと思いました。

ケース教材の執筆を通じて、個人的には冨田さんが放牧と呼ぶ人材マネジメントに非常に興味を持ちました。自然科学の伝統的な研究室では、学生が取り組む研究テーマを教員が設定するところも少なくありません。「何のメカニズムを解明するか?」「何を合成するか?」といった目標を教員が設定して、そこにたどり着くための試行錯誤を学生が行うという分担は効率的に見えます。一方で、冨田さんのラボでは、まるで学生が山谷を自由に駆け回って、転んで多少怪我をしたとしても自分で立ち上がって再び走っていくようなイメージを感じました。
「優等生的人材に破天荒カリキュラムを課して教育することで脱優等生的人材を育成しよう!」という発想自体が優等生的ですが(笑)ライトスタッフを選抜し、自由にさせて託して任せるというハイリスクにチャレンジする姿勢が必要と感じました。

WBSも某先生が「早稲田動物園」と称するくらいバリエーション豊かでイノベーティブな教員が集まっています。多少の失敗は許容して、大怪我・大火事だけはさせない範囲で自由に研究や教育をやってもらう放牧スタイルがWBSにはマッチしているのかなぁ、などと独り言を垂れながらコラムを終わろうと思います。ケース執筆のインタビューにご協力頂いた冨田さん・河野さん・塩澤さん・宮地さん、原稿執筆のアドバイスを頂いた牧さん、獅子奮迅のサポートを頂いた石井さん、助言を下さったプロジェクトメンバーの皆さんに深く感謝いたします。

*「サイエンティスト 冨田勝」のダウンロードはこちらからどうぞ。

 


次回の更新は11月29日(金)に行います。

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