[ STE Relay Column : Narratives 062]
小野 孝太郎 「心が強くて優しいリーダー」

小野 孝太郎 / EDTECH LABORATORY. CEO

[プロフィール] 1969年横浜生まれの横浜育ち。慶應義塾大学大学院理工学研究科修士。1994年に新卒3期生として日本オラクルに入社。1996年6月からシリコンバレー本社勤務。1999年にOracle Real Application Clustersの開発部隊に日本人として初めて加わった。また、日本人エンジニアの育成に力を入れ、所属する部署に日本から3人のエンジニアを転籍させた。2010年頃から教育に興味を持ち始め、2013年にサンフランシスコ日本語補習校保護者会会長、2014年は同校で小学5年生の担任を勤めた。同年はBBT大学大学院でMBAの勉強を始めた。2015年にオラクルを退職し、ロサンゼルスで教育事業に関わった後、日本各地を旅しながら「カタリバ」などを通じて学習支援のボランティア活動をした。2016年から2年間Teach For Japanを通じて福岡県の筑豊地区で小学校の教師をした。2018年4月からベンチャー企業でのCTOを経て、2018年9月に退職して独立。現在はエグゼクティブ・コーチ、パーソナルコーチ、講義・講演、ビジネスコンサルティングを主な生業としつつ、教育関係の事業の立ち上げ準備中。

◆牧さんとの出会い
牧さんをご紹介いただいたのは6年ほど前、私がMBAの勉強を始めようかと思っている時にSan Diegoに住んでいる長年の親友である奥村さんからその分野でとても詳しい人がいるから紹介すると言われたのがきっかけです。今回立派な方々ばかりが書かれているリレーコラムに寄稿させていただけるご縁に感謝しております。

今回書かせていただくテーマは、私の人生のミッションである「心が強くて優しいリーダーを沢山育てる」についてです。プロフィールの通り私は新卒で1994年に日本オラクルに入社し1996年6月からシリコンバレー本社に異動し、1999年からは日本人で初めてOracle Real Application Clustersというオラクルの中核的な製品の開発チームにエンジニアとして加わりました。なぜそんなエンジニアだった私が「心が強くて優しいリーダーを沢山育てる」というミッションを持つようになったのか?そしてそのために今何をしていて、これから何をしていくのか?その先のビジョンは何か?そんなお話を書きたいと思います。

◆生い立ち〜オラクル入社〜シリコンバレー本社勤務まで
横浜生まれの横浜育ち。祖父母の代から横浜に住み、戦前から横浜駅から歩いて10分程度の平沼という町でパン屋を営んでいました。父は14人兄弟でした。男兄弟は4人しかおらず上二人は戦死しました。祖父が亡くなった後は父がパン屋を継ぎました。しかし、私が3歳の時にパン屋は廃業し、パン屋の敷地を貸しビルや駐車場にして不動産だけで食べていくことができる裕福な家でした。私は記憶にありませんが、3歳までは常に祖母やたくさんの親戚に囲まれて可愛がられて育ったようです。そのおかげで私はとても自己肯定感が高い子供に育ちました。学校は高校まで地元の公立の学校でした。高校時代に大好きだった女の子のお父さんが慶應義塾大学出身だったという理由だけで、高校2年の2学期までは学年ビリの状態から現役で慶應義塾大学に合格しました。今にして思うと、自己肯定感の高さと、周りに「ドリームキラー」=「そんなことができるわけがないなどど人の夢を打ち砕くことを言う人」がいなかったのが良かったのだと思います。これは逆に言うと、人は自己肯定感を高めてあげて、無限の可能性を信じてあげればどこまででも伸びていくということです。
慶應に入ったものの、女の子に褒められるためだけに入ったので笑、当時の大学生のご多分に漏れず、全然勉強しない生活をしていました。しかし、大学2年生の時に受けた中西正和先生(故人)のプログラミングの授業でコンピュータ・サイエンスの楽しさに目覚めて中西研究室に進み、修士課程まで修了しました。当時の私の夢は2つだけ。「満員電車に乗らないこと」「ゴルフを毎週末すること」でした。普通の日本の大企業に就職したらどちらもまず叶わないだろうという判断力だけはあったので、当時たまたま見つけ、日本ではまだ、ほぼ無名だった日本オラクルに入社することにしました。入社前の会社のイベントで後輩をたくさん集める集客イベントがあり、そこで一番集めたご褒美にシリコンバレーの本社を見る機会に恵まれました。本社ビルを目にして、ここに来れば満員電車に乗らなくて済むし、ゴルフを毎週末できると確信。入社後はアメリカ行きを熱望し、上司や周りの人に訴え続けた結果3年目の1996年6月からシリコンバレー本社駐在の願いが叶いました。
上司には頂いた仕事は一生懸命しますとコミットしていたので必死に働き、その介あってか、1999年には担当していたOracle Parallel Server(後にOracle Real Application Clustersに改名)製品の開発部門に日本人として初めて加わりました。当時オラクルが最も他社と差別化できる戦略的な製品でした。周りはMIT、Stanford, UC Berkeleyなど錚々たる大学の出身者ばかりで生き残るのに必死でした。なんとか4,5年で自分だからできる確固たるポジションを確立しました。それからは日本オラクルの若手の育成に力を入れ、最終的には3人が本社開発部門に転籍となりました。

◆なぜオラクルを辞めて教育の道に進んだのか? ~問いが人生を決める・変える~
私は2015年にオラクルを退職し、教育の道に進むと決めました。Steve Jobsの”connecting dots”の話のように、振り返ればたくさんのdotが繋ぎ合わさってそのような選択をする結果になったのですが、オラクルを辞めるに至ったきっかけとなるdotを二つだけあげるとしたら、以下の二つです。

①九州大学の松尾先生、谷川先生との出会い
②トライアスロンのアイアンマン(3.8km泳ぎ、180km自転車に乗り、42.195km走る)完走

松尾先生は九州大学のカリフォルニアオフィスの所長をされていて、あるイベントで出会いました。谷川先生は九州大学のQREC(ロバートファンアントレプレナーセンター)の初代センター長を勤められました。QRECでは九州大学と早稲田大学の学生さんをシリコンバレー研修につれてきて様々な経験をさせるQREPというプログラムを実行していました。私はオラクル社員としてシリコンバレーでも特徴的なオラクルのキャンパスツアーや社員との交流会のホストとして10年ほど関わらせて頂きました。
学生さんたちは一週間シリコンバレーで様々な人と出会い、関わり、大きなカルチャーショックを受けます。今まで触れたことのない価値観に触れ、多くの学生さんがパラダイムシフトを起こします。プログラムの最終日に学生さんは滞在中に学んだことをスピーチするのですが、多くの人が感極まります。中でも強烈に覚えているスピーチの一つで、
「やりたいことをやって良いんだと思った。」
と…学生さんが言っていたのです。

シリコンバレーは、やりたいことやっている人ばかりです。誰に命令されたわけでもなく、自ら選んでこの地に来た人ばかりです。そんな人達を見て、学生さんはカルチャーショックを受けるのです。自分で自分の人生を決めて良いのだと。

私はその様子を見ていて、QREPの取り組みは素晴らしいと思いつつも、九州大学や早稲田大学という日本の中ではエリートの学生ですらこのような状況だとしたら、他の子どもたちは一体どんな状態なのか?そちらの方が心配になりました。この原体験が教育の重要性を感じるに至った理由の一つです。

二つ目にトライアスロンのアイアンマンとの出会いです。私はゴルフを毎週末したくてアメリカに来たので、それはたくさんゴルフをしました。一番プレーした年は年間に80ラウンドし、ベストスコアは70,ハンディキャップは3でした。37歳のころ、体力が徐々に落ちてきていたのもあり、先輩に薦められて会社のジムでエアロビクスのクラスを受けました。その楽しさのおかげで体を動かす喜びに一気にのめり込みました。4ヶ月後にハーフマラソン、7ヶ月後にはフルマラソン、そして2年後にアイアンマン(3.8km泳ぎ、180km自転車に乗り、42.195km走るトライアスロン)を完走しました。39歳の時です。以来4年連続アイアンマンを完走しました。一番早くゴールしたときでも13時間以上かかりました。その間、何を考えているかというと、自分の人生の意味についてです。何のために生まれてきたのか?
2011年6月に完走したときは東日本大震災のことを考えて走っていまし た。津波で流されて亡くなった人のことを思うとどんなに苦しくても歩いたり立ち止まってはいけないと思って涙を流しながら走り続けました。

そんな中でふと自分に問いかけた二つの問いがありました。たぶん、前に何かの自己啓発本で読んだことなのだと思います。その問いとは、

・何でもできるなら何をしたいか?
・無制限にお金があるなら何をしたいか?

です。一つ目の問いだけだと、たいていの人は「家族がいるから」や「もう年だし」などの、やらない理由をあげて思考を停止させてしまいます。だから二つ目の問いを自分に投げかけました。もちろん、欲しい物を買うとか世界旅行をするとかは簡単です。そうではなくて、無制限にお金があったら、それを使ってどのようにこの世界を良くしたいのか?そういう問いです。

そして何が分かったか?

私にないのはお金ではなく、描きたい未来を考える力であり、仮にそれがあったとしてもそれだけの大規模で組織を動かすリーダーシップやマネジメント力がない。そういうことが分かったのです。40歳のときでした。ショックでした。

それまではただ誰かに与えてもらった課題を全力で解いてきただけ。たまたまオラクルに入ってたまたま頂いた仕事がオラクルの中核的な製品だったからそれなりに稼ぐことはできました。でも、それは私の運命を誰かに委ねた結果ではないのか?

自分がこの人生で本当にやりたいことは何か?本当に解決したい世界の課題は何なのか?それを考える力がない。その考える力をつけた後でもオラクルの仕事を心からしたいと思ったら納得できる。でもそうじゃなかったら絶対に後悔する。そう思いました。

そこから本当の意味での勉強を始めました。その思考力をつけるための読書をしたり、情報収集したり。BBT大学院に入ったのもそのためです。考える力をつけないまま死んでしまったら、一度しかない自分の人生を他人に委ねてしまうことになってしまいます。

一方でどれだけインプットしてもアウトプットしなければものにならないというのは当時の私でも何かの本で読んだので、アウトプットしたいと思いました。

誰にアウトプットするのか?それを必要とする人達に対してです。考える力をつけることの大切さとか、一人ひとりに無限の可能性があることを教えてもらったり勇気づけてもらう機会にまだ恵まれていない人達です。そんな人達に伝えたい。

ふとシリコンバレーで周りを見渡すと、子どもの頃からたくさん勉強し、行動し、本当にやりたいことを考え抜いた人たちが起業をしているという現実を目の当たりにしました。一方で多くの人が金銭的には豊かになっているものの、なんとなくギスギスした雰囲気がある。世界は金銭的には豊かになっているのに心が荒んでいると感じるのは私だけでしょうか?

そんなある日3時間走のトレーニングをしていたとき、「ボトム10%の子どもたちだけが入れる高校を作る」という声が突然聞こえてきました。いわゆる学業成績でボトム10%。それはその子たちがたまたま生まれ育った環境がそうだっただけで、その子たちの才能がないわけではありません。私が実際に学習支援で関わった高校生はとても自己肯定感が低かった。そんな子どもたちの自己肯定感を上げ、セルフイメージを高め、高い目標に向かって努力していく勇気を与える。そうやって成長できた子どもたちはきっと、同じような境遇の子どもたちに手を差し伸べてくれるに違いない。「心が強くて優しいリーダー」の誕生です。

◆高校経営に向けての行動 Teach For Japanを通じて教師をすると決意
高校経営をいつかしたいと決めた私は、まずできることからしようと、2013年にサンフランシスコ日本語補習校の保護者会会長をしました。翌年には同校で小学校5年生の担任、また同年にはBBT大学院でMBAの勉強を始めました。2015年にオラクルを退職し、縁あってロサンゼルスのソーテル日本学院でお手伝いをさせて頂いた後、日本各地を旅をしながら学習支援をしたり震災の被災地、広島、長崎の原爆被爆地、鹿児島知覧の特攻隊基地などを訪れながら次の道を模索しました。その中で出会ったのがTeach For Japanです。創業者で当時CEOの松田氏の話にはとても共感することばかり。人生の2年間を教育の本丸中の本丸である公教育の現場で過ごすのは決して無駄にならないと思って、現場に出ることを決意しました。

◆Teach For Japanでの2年間を通じて得られたこと。人生で本当にしたいこと。ミッション・ビジョン
人生で最も苦しかった2年間。しかし、終わってみれば人生で最も実りある2年間でした。今これを書いているとき、終わってからすでに1年半が経とうとしていますが、今でもじわじわとその時の学びが自分の心を豊かにしてくれています。書き出すと止まらなくなりますが、私が学んだ本当に大事なことは何か?今集約するなら以下の2つです。

①自己理解を深め、自分を認め、自分らしく生きること。
②目の前の人をあるがまま受け入れ、心に寄り添い、全力で大切にすること。

①が「心が強いリーダー」です。
そして、②ができる人が「優しい」人。

もしあなたが誰かにあるがまま受け入れてもらい、心に寄り添ってもらい、大切にしてもらえたらどんな感じがするでしょうか?

私はそんなことができる人を増やしたい。

そして、自分らしく生きて、本当にやりたいことをやる。
私の人生のミッションは「心が強くて優しいリーダーを沢山育てる」
そして、そんなリーダーがたくさんいる世界は
「全ての人がやりたいことをやり尽くしている世界」となっています。
これが人生のビジョンです。

◆心が強くて優しいリーダーを沢山育てるための行動
私は現在コーチングをプロとしてやっています。また同時にコーチ・エィで企業向けのコーチングについて学んでいます。コーチのあるべき姿として、心が強くて優しいリーダーであることが求められていると私は思います。だから私自身コーチとしてそのような在り方を磨き続け究極まで極めて行くと決めています。

私がこの在り方でクライアントと接することで、クライアントもその優しさにふれることができ、その想いを周りの人に伝えていくことができます。自分のあるがままを受け入れてくれる人の存在によって、人は変化する勇気を持つことができると思います。そしてなりたい自分になれるように行動をします。

◆牧ゼミの学生さんにお話をさせていただいて
去る2019年7月に牧さんのゼミでお話をさせていただく機会を頂きました。私自身BBT大学院でオンラインのMBAコースを修了しましたのでMBAで学ぶことの大変さは多少なりとも知っていることもあり、社会人になってからも学び続け、自身を磨き上げる姿勢を持っている方々は心から尊敬します。そんな方々との繋がりの場を頂いた牧さんに感謝します。
ゼミでは今回のコラムで書いたような内容をお話しました。そして、熱心なご質問をたくさんいただきました。ゼミ生の佐々木さんとはその後zoom会議でお互いが考えていることを説明しあったりフィードバックしあったりするセッションをしました。こんな繋がりから新しいアイデアの種が蒔かれ、芽が出てくるかもしれません。
多様なバックグラウンドを持つゲストが教室に行ってお話をするから伝わる熱量があったり、その場のディスカッションから得られる新たな気づきがあるのだと思います。牧ゼミのこのような取り組みは本当に素晴らしいと思いました。

◆ビジネススクールの学生に期待すること
今後どのような事業に取り組まれるにしても、決して忘れないで欲しいことがあります。それは「目の前の人を大切にすること」です。企業の経営者であれば顧客は言うまでもなく、従業員や取引先、地域の方々などを大切にするということです。関わる全ての人の幸せと成長に貢献できるようなリーダーがたくさん増えれば世界はきっと良くなっていくと思います。

何のためにビジネスを学んでいるのか?何のために生きているのか?この世に何を残したいのか?いつも原点に立ち返ってリーダーとしての在り方を一緒に高めていけたら嬉しいです。


次回の更新は10月11日(金)に行います。