[ STE Relay Column : Narratives 055]
水野 雅文 「WBSにおけるlearning communityとは -もしくはインセンティブのためのパエリア-」

水野 雅文 / 早稲田大学経営管理研究科 / アルファレオ株式会社 

[プロフィール]1982年5月14日生まれ。愛知県名古屋市出身。私立東海高等学校卒業、一浪した後、京都大学工学部電気電子工学科へ入学するも、一身上の理由により中途退学。フリーターを経て塾講師として就職、個別指導教室の教室責任者として2つの塾で約7年間勤務。2017年度に知人の紹介で金融業へ転職。現在はアルファレオ株式会社において株式投資ファンドのミドルバックオフィス業務全般を担当している。2018年度に研鑽と研究のため早稲田大学大学院経営管理研究科(WBS)ファイナンス専修へ入学。現在に至る。
座右の銘は「人生塞翁が馬」。得意料理はパエリア。

introduction
なぜ家にパエリア鍋があるのかとたまに聞かれるが、衝動買いである。フライパンでも創れなくはないが、テフロン加工されているものでは“おこげ”が作られない。大事な味の一つを失うことになってしまう。であれば買ってしまえと、まぁそういうわけだ。
何の話か分からない人は残りを読んでいただければよいかと思うが、なぜか授業後の打ち上げでパエリアをふるまうことになった。呑んでいたとはいえ約束は約束。守らなければいけないし、そもそも“美味しい”。別に関西出身ではないが、7年近く関西に住んでいたこともあって思考が少し関西チックになっている…のかもしれない。関西の方に怒られるかもしれないので謝っておく。ごめんなさい。

私について
プロフィールの通り、変な経歴の持ち主である。
詳細は伏せさせていただくが、大学を中退しており、ちょうど就職氷河期と言われた時期でもあったため、中々就職も決まらず、親のすねをかじって生きていた。知り合いが塾を開くことになったため、やってみないか?という誘いを受けて塾講師となり、主に中学生を相手に教鞭を執っていた。
愛知県は公立高校を二校受けることができるという特殊な教育環境である。そのせいもあり、公立中学→公立高校という進路の子供が非常に多い。東京だと、中学受験の率は20%を超えるぐらいあるかと思うが、愛知ではかなり低い。一方で、私たちが子供だった頃と比べると塾という物の立ち位置も変わっている。昔…といいたくはないが確かに昔になってしまった平成初期の塾は、「頭のいい子」が通うところであったが、現在ではクラスで8割を超える生徒が塾に通っている。
そんな「普通の子」をできるだけ上の高校に通わせるための塾で私は教えていた。全科目教えていた、というと驚かれることもあるが、公立受験はある程度型が決まっており、教科書のどこに何が書いてあるかなんとなく覚えていれば教えることにさほど苦労はしない。勿論、それ自体がある種特殊能力であることは否定しないが。
先生という職は面白かったが、長い拘束時間、安い給料、親御さんからのプレッシャー…などなど、大変な面もかなりあり、色々なタイミングが重なったこともあり転職。知識も経験もない金融業界へ飛び込むこととなった。知識不足で色々苦戦している中、社内公募でWBSの話があり、これまた色々なことが重なった結果、WBSに通うこととなり、現在に至る。
現在の研究テーマは「日本株式市場における多角化企業の企業価値」、テーマばかりが膨らんで頭が痛いが、半年後には自信をもって提出したいものだ。

きっかけ
そもそもどんな関わりでこれを書くことになったのか記憶をたどってみると、場末の中華料理屋に行きつく。WBSに関わる人なら大体知っているであろう床がべたつくあそこである。
切っ掛けはただの呑みの場だった。何人かの同級生から、面白い先生がいるとは聞いていたが、私は特にアントレプレナーに興味が強いわけでも、科学技術に造詣が深いわけでもない。学部こそ工学部だが、社会に出てその知識を使ったことは恐らく一度もない。そんなわけで牧さんにさほどの興味があったわけでもなかったが、どうせならと喋ってみることにした。
「この人はどんな思考回路しているのだろうか…?」というのが最初の感想である。酔っていたのは事実だが、妙な角度からツッコミが入ってくる。興味の対象が“普通”の人とは違うような気がした。若干失礼な感想かもしれないが、「面白い人だなぁ…」というのが正直なところであった。念のために補足しておくが、funnyではなくinterestの方の面白いである。
私はWBSの中でもファイナンス専修であり、牧さんから研究指導を受けることができる立場ではない。しかし、WBSの中で(牧さんに限らないが)多くの先生から話を聞くことは自分にとってとても大きなプラスになると思っている。これは私のポリシーでもあるが、ファイナンスだけを学ぶより、より広い分野に触れることがいつか何かのプラスになると思っている。懇親会と名のつくものには可能な限り出るとかそんなことをしているのはこんな理由もある。
と、いうわけで何やら言い訳がましくもあるが、牧さんのLearning communityに参加させていただくこととなった。

牧さんとは
大学教員は、本質的には「先生」ではない。研究者が本業である。ファイナンス専修の先生に限って言えば、研究者タイプの先生も多いが、夜間主でゼミを持たれている先生はアカデミックな研究だけでなく、実務家としての履歴を持つ(一部先生は兼業されながら)先生が多く、研究者然とした先生が少ないのは確かである。
牧さんはどちらかと言うと、研究者寄りであろう。少なくとも私の中には実務家というイメージはほとんどない。その意味で言うと、割と普通な「大学の先生」なのかともおもう。しかし、逆に学生が“普通の学生”ではなく、基本的には仕事をしつつ学んでおり、そういう意味において、“普通の大学院”の教師と生徒という関係からそもそも逸脱している面はあるだろう。
話を戻す。私の認識では、「先生」のタイプは2種類ある。「教師」と「講師」である。「教師」は導師であり、教え導く人という認識である。要は、教えることの目的地がかなりはっきりしている。塾の、特に数学の先生なんかはこのタイプが多い。生徒に応じて目的地を決め、そこまでの道のりを指し示し、更には道を照らしてあげる。そんな教え方がこのタイプの先生である。一方、「講師」は、知識を伝え、視野を広げさせる人である。高校の歴史の先生なんかがこのイメージにはぴったりかもしれない。幅広い知識・見識を持ち、あらゆる質問に答え、可能性を広げてゆく。教師のデメリットは、生徒の興味分野が先生のそれと合致しないと、ほぼ力を発揮できないという点であり、講師のデメリットは、生徒の興味が発散してしまう点である。ということは、初期段階では講師で、後半になるにつれ教師になってゆく先生がベストと言えなくもない。できるかどうかは知らないが。
では、牧さんはどちらだろう。
異論反論はあると思うが、私はほぼ確実に「教師」だと思っている。これは完全な偏見だが、牧さんは自分の興味分野以外への興味はほとんどないとも思っている。最も、興味分野がかなり広いのは確かだろうが。例えば牧さんに「数学」の授業を頼んだとする。講師タイプの先生であれば、自分の不得意分野であれば絶対に受けない。しかし、牧さんは学生の研究に必要であると判断すれば(勿論、その学生の興味分野が牧さんのそれと合致しているという最低条件は必要だが)、自分にできる範囲とかいいつつ資料を探し漁って教えてくれるだろう。まぁ、他に適任が居ればその人に教えてもらうように指示するのだろうが。
WBSにはいろんな意味で“尖った”先生方が多いが、そんな中でも牧さんはかなり特殊な人であることはだれもが認めてくれるだろう。

牧さんの授業
授業は「授業構築型授業」である。ビジネススクールでよくあるケースディスカッションやフレームワーク紹介型の授業とは一線を画す。授業に携わる人すべて(先生だけではなく、学生、またTA含め)が授業を作り上げて行く必要があるのが最大の特徴だろう。
聞いていてとても面白かったのは、学生側のステップアップが目に見えてわかる、という点である。今までのあまり触れてきていないであろう定量分析、しかも英文の論文を、輪読ではなく、一人でプレゼンしなければならない。最初のうちは手探り状態で進んでゆく。もちろん、適宜牧さんからツッコミというべきか修正というべきかアドバイス的なものが入り、このように読むのだ、という“お作法”がなんとなくわかってくる。
定量論文を読みなれてくると分かるが、定性論文よりも定量のほうがはるかに読む量は少なくて済む。なぜならば、定量論文であれば分析結果が数字で示されているため、解釈が一定方向に定まるため、英文であろうが「何」を分析しており、「何」を示しているかということをabstractから読み取ることさえできればなんとなく全体感がつかめるという性質があるからである。(勿論、定量論文にも色々あるため、すべてに適応できるわけではない)
私は自分の論文のために、いくつかの種類の研究を漁っていたこともあり、昨年から数十本定量論文を読んでいたため、この種の論文はある程度慣れている。それでも私が読んだのは概ね日本語の論文であるし、慣れるまでにそれなりに時間がかかっている。しかし、この授業においては紹介するのは数本である。にもかかわらず、後半になると目に見えて“わかりやすく”なる。
これが牧さんの効果によるものなのか、学生間の影響によるものなのか、突然変異であるかはわからないが、論文テーマの面白さ以上にこの“成長”が面白かった。
念のために付け加えておくが、決して楽な授業ではない。英語の定量論文をひたすら読まなければならないし、かつそれを分かりやすいようにまとめなくてはいけない。定量論文を書く必要があり、かつスタートアップに興味があればおすすめの授業といえるかもしれない。
この授業での主題のひとつにインセンティブがある。牧さんと私との間で、「この授業が面白く感じて、すべて聞きに来たら、最後に私がパエリアを作る」と約束していた。というわけでイントロにつながるわけだ。実際に牧さんがパエリアをインセンティブにしていたかどうかは本人のみぞ知るわけだが、少なくとも飲み会の席で皆さんが美味しそうに食べてくれたのは私個人のインセンティブになったと思う。インセンティブなんて人それぞれだよね、という典型例かもしれない。私のこの授業に対するインセンティブは3つある。ひとつは英語の勉強になること。私はほんとに英語が苦手なため、ある程度の強制力を持って英語に接しないとならず、その点でこの授業は有意だった。二つ目は、論文の内容に対する興味である。元々スタートアップにさほど興味があったわけではないが、普段触れているものとかなり違う種類の論文に触れることが出来たのはとても面白かった。三つ目は、あの授業にある“濃い関係性”である。先生、TA、メンター、現役の学生…とても面白い人たちが集う場であったと思うし、その関係性も面白いものがあったと思っている。

WBSで得ることができるであろうもの
WBS生活も早いものでもう1年と4分の1が終わり、気づけばあと8カ月ほどを残すばかりである。来年のことを言えば鬼が笑うが、おぼろげに見え隠れするものもある。
この一年ちょっとで、色々なことを経験し、色々な知識を得、多くの友人・知人との繋がりを得た。怒られるかもしれないが、知識を得るだけでは大学院の意味はないと考える。その知識をどう使えるのか、どうつなげるかの方が遥かに大事である。自分の得意分野ならいざ知らず、そうでない部分は(ある程度)人に任せてしまえばよい。餅は餅屋だ。ということは、そんな色々な能力を持つ人たちを知れたこと、その人たちと“仲良く”なれることがWBSにおける最大の価値の一つなのではないだろうか。勿論、その中には教授陣との関係も含む。授業だけでなく、色んな場所での議論や、呑みの場でのくだらない話でも得られるものはたくさんあるだろう。
もう一つも人との関係である。WBSには多種多様な人が居る。日本を支えてきた大企業の人も居れば、新興のベンチャーも居る。アジア圏を始めとした優秀な留学生たちもいるし、特に中国圏で著名である早稲田ブランドに惹かれたアジア圏を中心とした実業家たちも居る。そんな人たちがひしめき合う中で、自分の価値を見つけることが出来れば、それは一生ものの価値となるだろう。紹介にもある通り、私はファイナンス専修という枠で入学している。ご存知でない方のために説明しておくと、WBSの夜間プログラムは夜間主総合、プロフェッショナル・マネジメント、プロフェッショナル・ファイナンスの3種類の構成がある。総合は全般、プロは各々の専門領域を主として取り扱う。私としては凄くもったいないと思うのが、マネジメント系の学生はファイナンス系の授業を受けず、ファイナンス系の学生はマネジメント系の授業を倦厭する。言い分は分かる。確かに文系出身の方が多い中で数学が基礎となるファイナンス系の授業はきつい面もあるだろう。しかし、ファイナンス系の教授陣はその半数近くが文系出身である。決して受けれない授業ではないだろう。ファイナンス系の学生は忙しさを理由にする。しかし、ファイナンスだけ、マネジメントだけが分かっても意味が半減するのではないだろうか。コーポレートファイナンスにしても、経営立案にしても、ファイナンスとマネジメントの双方に理解がなければその全体像を掴むのは至難の業ではないだろうか。とはいえ、この面はカリキュラム上の問題もあるので色々難しい面はあるだろう。少なくとも私個人はできる限り多くの人と関わり、色々な知識を含めた考え方に触れていきたいと思っている。
自分にしか持てない価値を見つけるためにも、残り少しとなりつつあるWBS生活を、自分の想う限り楽しみたいと考えている。

なお、以上のエッセイはあくまでも筆者個人の経験と感想によるもので、この文責は筆者個人に係るものということをご了承頂きたい。 以上
                                                    


次回の更新は8月23日(金)に行います。