大沢重吉
とかく比較されることの多い慶應と早稲田ですが、実際のところ、なんだかんだ仲が良かったり、似ていたりするようです。
本記事は早稲田ビジネススクールを卒業し、最終学歴が早稲田になってしまった慶應出身者からみた早稲田ビジネススクール(WBS)体験記です。慶應を卒業して早稲田ビジネススクールに関わった人の中でも、現役生・卒業生、男女、色々な学部出身、内部進学など、多様なバックグラウンドを持った人が共同で執筆しています。
大学院というと、学部から同じ大学に進学するほうが自然であるようなイメージがありますが、WBSは他大学出身者も多く、特に区別なく学んでいます。
慶應は早稲田のライバル校として目されているため、もしかしたら進学へのハードルは高く見えるかもしれませんが、そんなことは全くありませんでした!
慶應が受け入れてもらえる環境なら他大学出身者ももちろん大丈夫、むしろ、ビジネススクールでは学生のバックグラウンドの多様性から学ぶことが多い。
この記事は、そんな思いをもってWBSを卒業した慶應出身者複数名で共同執筆しており、「大沢重吉」は両校の創設者名から漢字を拝借したペンネームです。
慶應出身者なのに、なんで早稲田?
ビジネススクールに通おうと思ったときに、当然、真っ先に母校はチェックしました。というかMBAも国内だったら当然、KBS(慶應義塾大学ビジネススクール)で取るものだ、くらいにずっと思ってました。
ところが、いざ進学を考え始めたらKBSは全日制のみで夜間コースなしということに気づき(笑)、母校に進学する選択肢は早々に断念せざるを得なくなったわけです。
そこで無意識に「じゃあ早稲田で」と考えたのは、なんとなく親近感をもっているからなのでしょう。
そんな経緯であらためてWBSの教授陣を見てみると、意外に早稲田出身者が少ない。実に多様なバックグラウンドの先生方が揃っていました。というか慶應出身者の教員がとても多い。
学部の時のように同大学出身の教授が中心になっているような閉鎖的な雰囲気はなく、それどころか研究科長も2代続けて早稲田以外の出身です。
さすがにビジネスを教えるところなので、実利主義というか出身とか縁故とは関係ないオープンな校風なのかなと感心した次第です。KBSも同様に多彩でしたが、トップはしっかり慶應出身者でした(笑)。
学生についても早稲田ビジネススクールは学部から直接進学することはできず、3年以上の社会人経験が入学要件です。ここも慶應とは違うところ。
おかげで、どこかの大学で時折見られるような、内部進学生だけで集まって幅をきかせる・・・みたいな光景は一切なかったです。
入学して早々に慶應、早稲田などの出身校も、ついでに所属企業、役職も横において、ビジネススクールでの学びに専念できそうな感触を得てほっとしたのを記憶しています。
やはりあった○○三田会!
慶應出身者が3人集まれば三田会とは良く言ったもので、WBSにもほどなく三田会があることを知りました。
早稲田学内に三田会を作ってしまう、この遠慮のなさに社中の絆の強さを感じます(笑)。
ちなみにこのWBS三田会の野望は「大隈講堂の前で『若き血』を熱唱する」ことだそうです。当初目標としていた100名も超えたようなので、いつ決行してもよさそうなものですが、良い大人の集まりなので、今のところは懇親会のお店(当然、@早稲田)での『若き血』熱唱にとどめています。
では、対する早稲田大学出身者はこういうつながりを持たないのかというと、ちゃんと彼らは彼らで「ワセダワセダの会」なる集まりがあるようです。なぜか稲門会とは名乗らないようですが(笑)、この点では結局、やっていることは慶應も早稲田も同じです。
慶早戦(a.k.a. 早慶戦)はどっちを応援する?
慶應出身者は慶應 vs 早稲田のスポーツイベントを「慶早戦」と呼びます。
2018年の六大学野球最終決戦は、この「華の慶早戦」で慶應の優勝が確定するという大盛り上がり間違いなしの展開でした。
この大一番に、なぜかWBS三田会がワセダワセダのメンバーと一緒に、 “早稲田側の” ベンチで観戦するというイベントが立ち上がりました。
まったく不思議な縁なのですが、牧先生(ザ・慶應ボーイ・・・のはず)が、たまたま早稲田キャンパス近くの飲み屋で早稲田の応援団の人と隣席になって意気投合し、応援団のルートからWBS三田会へチケットを手配してもらえることになったらしいです。この経緯がそもそも謎すぎです。
そして観戦当日、手配いただいたチケットは早稲田側の特等席。すなわち一塁目の前。我ら、ここにいて良いのでしょうか?
戸惑いを隠せないWBS三田会メンバーをよそに、生粋の慶應ボーイのはずの牧先生と、こちらも学外出身の長内先生がとにかく楽しそうでした。やはり謎すぎる。
野球は詳しくないので、多くは語りません。
チアは慶應のほうが(遠くてユニフォームだけですが)かわいかったです。多分。
早稲田の男子チア “SHOCKERS” のパフォーマンスは素晴らしかったです。
試合が始まると、早稲田側にいる以上、得点時には「紺碧の空」、エール交換では「都の西北」を歌うのですが、いずれも残念ながら覚えておらず、歌ってるフリ、口パクをすることになりました。
長内先生(注:京都大出身なのに早稲田大好き&早慶戦常連)が隣で歌ってくれていたのですが、即時トレースできるほど音感は良くありません。WBS三田会のメンバーはほぼ同じような状況で、失点のショックを隠しつつ「歌ってる風」を演じていました。
そんな傍目には大人しい集団が盛り上がったのは、やはり慶應の応援歌「若き血」。ようやく、知った歌が来た!おのずと声が大きくなり、元気になる一団を周囲のお客さんはいぶかしんで見ていたことでしょう。
ただ、早稲田と慶應の応援歌を比較すると、間違いなく慶應の「若き血」のほうがテンポも良くて、時代を感じさせず、かっこいいと思うのです。そもそも早稲田の「紺碧の空」、「都の西北」はテンポだけでなく、歌詞も全体に重い!「伝統のもと」「聳ゆる甍」って、スポーツの場に何を背負ってきているのでしょう・・・。
一方の慶應の「若き血」は、競技にのぞむ「我ら」が主になって勝利を見据え、スポーツマンシップを称揚する良い歌詞だと思っています。と、こんな風にすぐ、宗教論争になってしまうのです。早稲田の応援歌を歌っても「心までは売れない 笑」などと思ってしまうのです。
この試合は早稲田が勝利して、慶應の優勝は1日だけ延期となってしまいましたが、間近で見た両校の選手はもちろんのこと、応援団・チアの采配は素晴らしかったです。
ちなみに早稲田の校歌や紺碧の空を歌うときに、腕を上げたり下げたりする動き、結構疲れるんだ、ということが良く分かりました。というか入学式で校歌を歌って腕を上げたりさげたり、集合写真でみんなで”W”のポーズするのは、実は抵抗があったりもします。
学生生活といえば、学生街の名物店!
慶應生のソウルフード&思い出の店といえば「ラーメン二郎」とか「つるの屋」、「山食」、「らすた」、「とらひげ」、「しっぽとら」あたりでしょう。(日吉の店舗率が高いのは筆者の所属サークルの活動圏ゆえです。)
早稲田でそれに相当するのは、「メルシー」、「三品食堂」、「キッチンオトボケ」あたりらしいですが、とうとう行く時間はあまりないままでした。
平日、WBSの講義を受けるためには仕事を終えてすぐに早稲田に向かう必要があり、講義が終わるのは22時。当然、お腹は空きます。しかし、近隣のお店でこの時間に開いているお店は限られている。学生同士で飲みに行きたくても、移動時間を最小にする必要に迫られて貴重なわずか数軒の選択肢から選ぶことになります。示し合わせなくとも、他のWBS生と一緒になることも良くある出来事でした。
ところが、このWBSの選択肢のお店で早稲田の学部生の姿を見た覚えがありません。時間帯によるのかもしれないですが、WBSは社会人学生ということもあり、学部生とは異なる食文化が形成されていたようです。
「同じ釜の飯を食う」ではないけれど、地元メシの記憶はコミュニティ形成に重要な気がしています。早稲田メシも体験したかったですが、WBS独自の地元メシが存在しているのは、今思うと良いことであるように思います。
早稲田らしさ、慶應らしさってなんだ? -ビジネススクールにおける出身大学の意味
両校に関して、対比的に良く言われたり、イメージされるキーワードを並べてみました。
早稲田: バンカラ、一匹オオカミ、庶民的
慶應: 都会的、三田会、お坊ちゃん/お嬢さま
大学イメージにあこがれた高校生が、受験する大学を選ぶことで起こるセレクションバイアスはありそうな話ですが、なんとも言えません。
正直なところ、この2校がそんなに明確に住み分けされているとも思えず、両校出身の知り合いを思い起こしても、似たようなもののような気がします。もっと言うと、地方の庶民的家庭出身の自分としては、慶應のイメージはしっくりきません。
さらにWBSの学生ともなれば、経験職種、業界など、もっと他の共通項もあるので、わざわざ出身校に縛られることもないはずです。
ただ、慶應出身者に関しては、三田会の安定したネットワークとプライドがあるゆえに、かえってそのネットワークが足枷になってしまってる人がいないかなと、、、ちょっとだけ心配するときもあります。そういう人は多様な人と利害関係なく知り合えるビジネススクールのよいところを十分に活かせなくなってしまうことがなくはないかも。常にそのことを意識しながら、交流の場を広げていくのが大切なのだと思います。
実はこれに応えたのが、WBS三田会&ワセダワセダ合同での慶早戦観戦で、三田会から早稲田およびWBSに歩み寄る意味があった…のかもしれません。後付け理解ですが。
WBSについても、卒業後にもコミュニティを続けていくことを考えると、他校出身者へのハードルの低さとは矛盾するかもしれませんが、もっと「早稲田ならでは」があっても良いのかも。要職にある40代~50代の方までいるビジネススクールで100Kmハイクとは言いませんが、もう少しWBS学生が一体感を得るイベントがあると、まったく別の場所で卒業生が集まった時に、鉄板の共通の話題として機能するのではないかと思います。のど元過ぎた今だからこそ言えるのであって、在学中は課題でアップアップしてイベントどころではなかったような記憶も薄っすらありますが・・・。
そんな意味では、出身大学に関係なく、みんなで慶早戦行って、早稲田の応援をする、というのはぜひ在学中の良い経験かなと思います。
WBSの多様性とコミュニティの2つを成り立たせるために
仕事をしていく中で身についていく企業や職種、業界特有の視点は、時に近視眼的なものの見方しかできなくなる要因でもあるようです。ビジネススクールでは、それを壊して視野を広げるのが大きな学びの一つかと思います。
多様性に富む、新しい環境に飛びこむ際に、出身校や企業などの特定のコミュニティは足がかりになります。だけど、それは話のつかみ程度の価値しかないし、そんなことに囚われていては良い仕事もよい人脈もできません。最強の同窓会組織と言われる三田会であっても同じことです。そこで完結できるほど世の中狭くないです。
これから早稲田ビジネススクールに通おうという方は、ぜひご自分の枠を取り払って学生として楽しんで、出身大学や業界、職種、年齢を問わない交流を存分にしてください。もちろん、卒業後は早稲田OBの稲門会にもアクセスできますので、必要な時は利用して、ネットワークを広げてもよいと思います。ビジネススクールこそ、オープンマインドで他者との考え方の違いを知り、受け入れることで学ぶものが格段に広がる場だと思います。
という訳で、早稲田と慶應が如何に仲良いか、そして早稲田ビジネススクールは、早稲田の出身者に全く閉じていなくて、とてもオープンなビジネススクールであること、慶應の卒業生がネットワークを広げるためにもとっても良い場であること、などをお伝えすることに成功しましたでしょうか。
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[牧兼充よりコメント]
今回はSTE Relay Column: Narrative史上発の、「匿名ライター」、「複数の執筆者の連名」の記事となっています。ちなみに誤解されると思うので、あらかじめお伝えしておきますが、私はこの執筆者には入っていません。
ところで、慶應出身なのに早稲田にいて居心地悪くないの?という質問をとても良く受けます。実際問題、WBSはとてもオープンで学閥みたいなものは存在しないし、むしろ慶應とそっくりな文化なように思います。もっというと初期の頃のSFCにとても似ているかも。
慶應出身者は、濃いネットワークを持っていることが強みである反面、その内向きさが弱みにもなります。WBSにいても、慶應出身の学生をみていると慶應の弱みをそのまま持ち続けている人もいるように感じます。
母校への思いは、同窓で集まって内輪での心地よさを感じる、ということに留まらないで、とてもダイバーシティの広いコミュニティの中で自分の実力で活躍して、こういう人材を育てた慶應は良い学校なんだな、と周りに思ってもらえたときに感じるられると本物かなと思うし、「独立自尊」な人材なのではと思うのです。でももちろん、同窓同士が仲良く交流するのはとても良いことなので、これからも積極的に、と思います。
色々な大学の出身者が切磋琢磨して、人材の流動性が何よりも大切と考えるアメリカのアカデミアで育って、日本に戻って早慶の両方を経験すると、色々な視点を持つことができて、それが最近自分の強みになっていることを感じます。
次回の更新は5月24日(金)に行います。