[ STE Relay Column 018]
冨田直輝 「キャリアの新統合を目指して」

冨田 直輝 / 武田薬品工業株式会社グローバルファイナンス 

[プロフィール]1976年生、神奈川県出身。2003年東京大学理学系研究科博士後期課程修了(理学博士)。専門は有機化学。2000年に中国の上海有機化学研究所(SIOC)へ短期留学。武田薬品工業(株)入社後、降圧薬(アジルサルタン・メドキソミル)や抗がん剤などの創薬研究に11年従事。その間サンディエゴ子会社への派遣などを経て、2013年にグローバル本社財務部に異動し現職。グローバル資金繰りや事業買収評価、全社財務系システム導入プロジェクトなどに携わっている。2017年WBS夜間主総合プログラム入学。日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)。武蔵野市在住、家族は妻と長男次男。

プロジェクトとの出会い
 私とプロジェクトの出会いは、2017年にWBS (早稲田大学ビジネススクール) 夜間主総合プログラムで牧先生の研究紹介(プレゼミ)をお聞きする機会に恵まれたところから始まる。製薬企業で新薬の探索研究に10年以上従事していた私としては、イノベーションをどうやって創出するか、には非常に興味を持っていたが、一方でそれは理系研究者の専売特許であると思い込んでいた。しかしながら、牧先生のスター・サイエンティスト研究の話を聞き、社会科学的の視点からイノベーションを研究するという考え方が、非常に新鮮だった。一握りのスター・サイエンティストが当該分野における多くの成果を創出し、同時に周囲の研究者の生産性も大幅に向上するという現象は、日本の創薬分野では京都大学の山中伸弥先生(iPS細胞)や東京大学の菅裕明先生(ペプチドリーム)が好例と思うが、大学や企業の研究所で実際に目の当たりにしてきた。そうそう、そのとおり、と内心で強く共感しながら、研究の内容に惹き込まれていったのを覚えている。また、インプットとアウトプットをきちんと定量化し、「研究者の感覚や美学」ではなく科学的に分析するという研究手法は、元々企業内での議論がともすると精神論に陥りやすいことに違和感を覚えていた私にとって、これがビジネススクールで学びたかったことの一つだ、と嬉しく感じた。

WBS入学の経緯と目的
 私がWBSに入学した経緯は本プロジェクトとの関係性に大きく影響しているため、長文ご容赦いただきたい。大学院を卒業後、新卒で製薬会社の創薬研究職に採用していただいた。大学ではサッカーボール分子を使った遺伝子導入法の開発というマニアックな研究をしていたため、自分を採用してくれる物好きな会社は製薬会社くらいだろう、入ったら何でもやってやろう、という感覚だった。細かいお金の計算などは大の苦手で、イマジネーションと手を動かすことが重要な研究職は天職と感じていた。最初は大阪十三の研究所で創薬化学と夜の街について学び、その後つくば研究所、湘南研究所と異動を重ねながら11年勤務し、降圧薬(うち一つはアジルサルタン・メドキソミルとして上市)や抗がん剤などの探索研究に従事した。
 その中で2006年に半年間、サンディエゴの子会社(Takeda California Inc., 元Syrrxというバイオベンチャ-)で勤務する機会を得た。完全成果主義でタイムスタンプの類はなく、アウトプットさえ出せていれば好きな時間に来て帰ってOKという勤務管理は衝撃的だった。ただよく聞くと、元ベンチャーのため研究機器が少なく、一人が早朝から昼過ぎまで(幼稚園のお迎えのある女性)実験した後、もう一人が午後から夜中まで実験して、一つの機器を二人で共用する工夫をするなど、合理的かつ多様な働き方を実現しているのに感心した。同僚は男女比ほぼ1:1、アクセントが強い人や就労ビザで働く外国人もおり、アメリカ=WASP中心と勝手に想像していた先入観は見事に裏切られ、その多様なチームの中で自分は何に貢献できるのか、本質を問われ続ける半年間だった。幸いなことに、派遣されている間にアメリカで特許を出願するというひそかな目標も達成でき、科学や研究に国境はない、と実感できたのも貴重な経験だった。
 研究職としてのキャリアしか考えたことがなかった私の転機となったのは、2013年の東京本社への異動の辞令であった。元々は2-3年でローテーションという話だったのだが、紆余曲折あって財務部門で(5年経った現在も)働くことになった。化学の勉強しかしたことのない人間にとっては周囲の言葉が日本語なのか英語なのかすら分からず、正直サンディエゴよりよほど異国に来た感じがした(私:contingent considerationって何ですか?後輩:条件付対価のことですよ。私:あぁ・・・(ジョウケンツキタイカ??))。幸いエクセルくらいは使えたので、言われるがままにひたすらキャッシュフロー計算をする毎日だったが、細かい数字が苦手なこともあり最初はミスばかり。可哀想に思ったのか上司から、証券アナリストの通信講座を勧められ、会社が終わった後や週末に喫茶店や図書館で2年間勉強した。経済やデリバティブの勉強も必要で、OJTでは出てこない内容もあって大変だったが、日経新聞の内容が日に日に分かるようになり、なぜ上司がそれを勧めたのかがよく分かった。結局、異分野でも自信を持つためには勉強あるのみということか。この経験が今の私を支えている。
 財務部門での仕事にも慣れてきた中、当時の財務部長から、ファイナンスの勉強にもなるしビジネススクールでも通ってみたら?と勧めていただいたのが、WBS入学の直接のきっかけである。サンディエゴ駐在時にPh.D.のMBAホルダーをたくさん見ていたのと、理系の専門性とファイナンスの知識をどうキャリア的に融合させていくか悩んでいたタイミングだったため、渡りに船であった。WBSの説明会に参加した際、根来龍之先生が「MBAのコースに入るのに経営学の予備知識なんて必要ないんです。多様なバックグラウンドの方が入学されるから面白いんです!」と力強くおっしゃっていたのも、WBSに是非入学したいと思った理由の一つだ。現業務的にはファイナンス専門のプログラムに行くべきなのだが、研究職とファイナンスの知識を橋渡しするための幅広い知識を身に着けたいと夜間主総合プログラムを選択し、WBSに入学した。

これまでの活動
 WBSで受講した牧先生の講義は、一年次の「技術とオペレーションのマネジメント」、二年次の「科学技術とアントレプレナーシップ」の二つである。牧先生からご紹介いただいた数々の先行研究の中で最も衝撃を受けたのは、アメリカの全てのバイオテクノロジー企業の財務成績を合計すると大儲けどころか赤字ぎりぎり、大成功したアムジェンを除いてしまうと完全に赤字、というPisanoらの研究であった(参考:「サイエンス・ビジネスの挑戦」ゲイリー・P・ピサノ(著), 池村千秋(翻訳)、日経BP社 )。てっきり最近はベンチャー企業の方が研究の成功率や財務パフォーマンスが高いと思っていたが、単に生存バイアスによるもので、成功したバイオテックばかりを見ていたからなのか。社内でまことしやかに説明されていた某有名コンサル作成の資料は何だったのか・・・色々な分析資料の結論だけを鵜呑みにするのではなく、前提条件や分析手法や限界なども理解した上で実務に用いる必要がある、ということを強く感じた。
 そのような経緯もあり、「科学技術とアントレプレナーシップ」の講義で定量研究の論文の読み方を学ぶのを楽しみにしていた。学部時代に統計の講義をさぼりまくって”D(ドラ)”すれすれだった私はその事を激しく後悔し始めていたが、牧先生からの厳しいご指摘を受けながら、製薬会社だったら分かるよね?という無言のプレッシャーに堪えながら(実際は、臨床試験の結果を日々分析している開発担当者とは異なり、合成の研究者は統計を使う機会がない)、膨大な量のペーパーを読み込んでいった。詳細は既に皆さん投稿されているので割愛するが、私が特に印象に残った内容はサンディエゴやボストンなどにおけるエコシステムがイノベーションに与える影響、暗黙知の共有のメカニズム、ピア・エフェクトはどのように行動やパフォーマンスに影響するか、などであった。以前の駐在経験から、サンディエゴのトピックについては現地の肌感覚を持って聞くことができた。Hybritechの話など現地にいたのに知らない知見が沢山あり、漠然と抱いていたサンディエゴのクリエイティブな雰囲気の理由が、ビジネス・エコシステムの観点からよく理解できた。暗黙知の共有やピア・エフェクトは、まさに私が理系の大学院の時に教授やスタッフの先生方とのディスカッションの中で、共有いただいてきた膨大な経験値そのものであった。事前準備も当日の議論も重厚で大変タフな授業だったが、スタートアップ勤務・アナリスト・ブロックチェーン専門家・有機化学者という多様なWBSの現役生に加えて、OBの中嶋さん、川村さん、中島さんという強力なメンバーも聴講参加して議論を盛り上げてくださり、TAの田巻さんは驚くべき貢献度でスーパーTAぶりを遺憾なく発揮し、毎回ワクワクしながら参加することができた。理論と実務の検証がめまぐるしく往復する、大変有意義なディスカッションができたと思う。
 牧先生の科学技術とアントレプレナーシップの講義に続いて、株式会社MMインキュベーションパートナーズ代表の宮地恵美先生の「企業データ分析」と、東京大学大学院工学系研究科特任助教の吉岡徹先生の「イノベーション研究のための定量分析」の講義をダブル受講したのは、ようやく論文の意味が理解できるようになった定量研究を、自分の手でやりたいと思ったからである。前述のとおりイノベーションの科学的な分析に興味があり、定量研究という研究手法を知った私の中で、自力で定量分析をできるスキルというのはWBS卒業までに必ず身に着けたいスキルの一つになっていた。宮地先生から統計学の基礎とエクセルを用いた分析方法を学び、基本的な分析手法や考え方を理解しつつ、逃げ道を断つつもりでSTATA永久版を購入し、吉岡先生の講義資料と格闘しながら、自分が分析したいものは何か、必要なデータは取れるのかなど、修士論文の構想を重ねていった。先に牧先生の講義を聞いていたのでスムーズに分析結果を理解できたことに加えて、自分では分析できないのにひたすら先行者の研究を読んでいた鬱憤(自分で手を動かすことが好きな性分)もあったため、先生方とのディスカッションも非常に有意義かつ興味深いものとなり、大変楽しく受講することができた。私の中ではこれで修士論文作成の準備が整ったのである。

現在の取り組み
 現在は池上重輔先生のご指導のもと、修士論文の完成に向けて、仮説構築と分析、分析結果の解釈と実務上の示唆をまとめているところである。池上ゼミ(競争戦略と市場創造戦略)はいわゆる「グローバル戦略系」のゼミだが、池上先生は医薬品業界にも造詣が深く、アカデミックリサーチと実務へのアウトプットの両面をカバーして下さっている。私の現在の職務が財務、前業務は研究職ということで、被説明変数は企業の財務データ、説明変数はR&D関連のデータにすると早々に決め、現在試行錯誤を続けている。まだ研究途上だが修士論文の中では、投資家視点での定量分析に意識を向けつつ、企業のコア・ファンクションとしての企業内研究機関の果たすべき役割についても検証したいと思っている。
 勤務先の武田薬品工業(株)は目下、湘南の研究所(iPARK)において日本初の大規模創薬エコシステムを構築すべく、産官学を巻き込んだ壮大な計画を実行中である(https://www.shonan-health-innovation-park.com/)。たくさんの同僚たちが自らスタートアップを立ち上げたり、官学との連携をとりまとめたりするなど、ダイナミックな活動を続けている。筆者は現在財務部門にいるが、いつかまた研究の現場に近い所で、イノベーション創出に関与したいという野望を持ち続けている。その時までに創薬研究者としての専門性と、財務部門での経験という全く異なるキャリアを有機的に結合し、エビデンス・ベースで未来を語ることができる独特の存在になりたいと強く思っている。牧先生をはじめとする諸先生方やWBS学友の皆様には、引き続きご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げたい。また、証券アナリストの勉強期間を含め4年間も筆者のわがままを許容し、支え続けてくれている妻と子供達には本当に感謝している。

 


次回の更新は11月23日(金)に行います。次回は中嶋栄仁さんです。